Blog

  • 【無職日記38日目】住居確保給付金の申請が通った!

    【無職日記38日目】住居確保給付金の申請が通った!

    無職になって38日目

    安心したああああ!

    住居確保給付金の申請が下りました!!

    3月17日に住居確保給付金の申請をしました。
    本日が3月19日なので、申請が下りるまで2日かかりました。
    意外と早かった。
    住んでる市の外部団体?の福祉センター的なところで申請をし、
    そこから市役所に審査に回る、という流れだそうで。
    時間かかるかなと思ったのですが、早かった。
    市役所から直接大家さんの口座へ振り込まれます。
    本当にありがとうございます(´;ω;`)
    この制度がなければ、落ち着いて就活ができなかったです。
    本当に助かります。

    というのも、自己都合で退職したため、
    失業手当を貰うに3ヶ月の給付制限があるため、
    その間はどうやって過ごせば、特に家賃(´;ω;`)!
    と悩んでいたのです。。。

    本当によかった。。。

    今日は5時間、求職活動したよ

    集中できるタイマーアプリを使っています。どの作業をするかを決めてからタイマーの設定ができるアプリ。作業毎の時間もわかるようになっていて、求職活動を今日は5時間やったぞ。

    転職サイトでひたすら応募。どうせ通らないと思いつつ。
    (そうじゃないと落ち込んじゃうから)
    ハロワで紹介状もらったところも、1通郵送できた。書類用意するの、結構大変。
    疲れた。

    使ったアプリはこれです、おすすめ!

    集中

    集中

    Daisuke Toda無料posted withアプリーチ

    今日できたこと

    • 筋トレと有酸素運動
    • ブログ書く
    • 求職活動(書類応募できた)
    • イラスト描いた
    • グラタンとトマト煮作って食べた

    よく頑張った!!一人の時間は好きだけど、こんなに一人の時間っていらないわ。
    明日は友達とカレー食べに行くよ、久しぶりの就活以外のお出かけだよ嬉しい。。。

  • 【無職日記37日目】日記をつけることにした

    【無職日記37日目】日記をつけることにした

     

    無職になって37日目

    みなさんどうも、のろまです。
    なんと、無職になっており、今日で37日目を迎えました。早い。
    転職先を決めずに退職したので、現在無職で転職活動中です。
    転職活動をやらなきゃやらなきゃ、というプレッシャーと、
    この先の不安、自分は大丈夫なのか?などなど、とにかく不安しかないし
    仕事決まらないしで、日記を書き始めようと決めました。

    転職活動ばかりの毎日は精神が死ぬ

    貯金が少ない状況で辞めてしまったので、お金の心配がありました。
    後々また記事にしますが、わずかな貯金と失業手当、住居確保給付金により、
    3ヶ月はお金の心配をせずに就活ができる環境が整いました、が。
    不安しかない。決まらない。こんなに決まらないの?ってくらい決まらない。
    次は長く働きたいから妥協したくない。けど決まらない。
    今週月曜日、志望度が高かった企業から面接の結果が来た、そう「不採用」
    それにひどく落ち込んで、もう何もやる気しない。3日もだらだらしてしまった。
    無職で職探し中だからとストイックにならなきゃと思い、
    ブログ、ダイエット、絵を描くこと、簿記の勉強を抑えていたけれど、
    むしろそのほうがメンタルが死ぬのでは?と思い、今日から転職活動もするし
    時間はあるからブログやダイエット、絵を描いたり、簿記の勉強もしようと思う。
    生活にメリハリをつけたい。運動してストレス発散しないと死んじゃう。
    ということで、久しぶりに筆を執った次第です。

    もういやだ!!!!!真面目に働くから仕事くれ

    真面目なんですよこちとら!!定時で上がれてお給料もあって休みもある会社で働きたい。
    次に働くところでは長く働きたいのです。だから、失業手当も頂戴してしっかりと転職活動に励みます。
    同じような境遇の人に役に立つような記事を書いていきたいと思います。
    私もネットで「無職 ブログ」と検索したけれど、なんかよくわからん無職になってない人が書く記事ばっかりで、「参考にならん!!!!」と憤りを感じたので、いっそのこと私が書く。
    退職した後の年金、保険、失業手当、住居確保給付金の記事も書きます。
    実体験した人の記事が頼りになりますよね、なので書きます。

    明日からは気持ち入れ替えて行くぞ!!!でも今なんか不安で泣きたい(´;ω;`)

    みなさん応援よろしく!!!

  • 高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話②高校生編

    高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話②高校生編

    「高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話」第二弾です!
    前回の記事はこちら。

    https://noromalife.com/%e9%ab%98%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%82%af%e5%ae%9a%e6%84%9f%e3%81%8cadhd%e3%81%ae%e8%a8%ba%e6%96%ad%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%81%a6%e4%bd%8e%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3

    高校の新しい環境に慣れない、辛い。

    中学校は小学校からの持ち上がりで、人見知りなんて知らず。
    みんなのこと知ってるからね。
    県内の進学校へ進学したけれど、友達の作り方がわからず。
    自分の前に座っていた超可愛い女の子に驚いた記憶がある。
    夏休みに入る前、一学期は友人たちと打ち解けられず、
    なんというか、「素の自分」、「自然体の自分」でいられず、うまく話せなくてすごく辛かった。
    中学の親友たちはみんな、新しい環境にも慣れて友達もできていて、
    余計に辛く感じた。。。。
    「自分ってこんなに話せない人だったの?」と思った。
    でも夏休みに入る頃にはいつのまにやら慣れて話せるようになっていた。

    変人が多く居心地最高の高校生活

    慣れるまで半年かかったものの、慣れてからは最高に居心地のよい高校生活が待っていた。
    高校には、個性の強い人がたくさんいた。
    個性が強くて浮いてしまいそうな人でも、全く浮かない、というか、
    いい意味でみんな他人への興味のなさがあったと思うし、
    個性的な人を変な人と煙たがるような風潮が皆無だった。
    みんなそれぞれが好きなことをしていた。
    昼休みにコアなアニソンが流れていても、誰も批判しなかった。
    中学にあった女子の派閥のようなものもなかったし、
    中学にあったいじめのようなものも一切なかった。
    他のクラスは知らないけど、男女のあれやこれやもなかった(これは欲しかったけどね)。
    みんながみんなの個性を否定することなく受け入れ合うという、最高の環境でのびのびと毎日笑って生活することができていた。自分が「普通じゃない」なんて、1ミリも思っていなかった。

    自分で考えることの大切さを学ぶ=自己肯定感に繋がる

    校則がなくのびのび

    私の通っていた高校があった学区内では私服高校が多くあり、私の母校も私服高校だった。
    他校には珍しく、校則がなかったし、本当に自由な環境だった。
    一般的な高校では校則がありそうなもので挙げるならば、

    • 金髪にしてもいい
    • メイクしてもいい
    • 指定ジャージ、指定の上履きがない
    • バイトしてもいい(許可不要)

    などなど。というかそもそもの校則がなかったので気にしたこともなかった。だから自分の好きなファッション、好きなメイク、好きな髪型で過ごすことができたのもあって、本当にみんな伸び伸びとしていた。

    だからといって荒れるということもなかった。
    授業中の私語は全くないし(本当に静か)勉強に励みたい人の邪魔になる人もいなかった。

    入学式で先生に言われたこと

    入学して担任の先生に言われたことをよく覚えている。
    「ここは高校だけど大学っぽいところだから、基本的には掲示板を見てテスト範囲諸々等を確認すること。先生からは何も言わないよ。もしそれで情報を見逃したりしても、自己責任です。この高校は自由だけど、その分全て自分の責任だよ」
    という旨を言われて、中学を卒業したばかりの私は
    「なんか怖い。。。」と思った。
    それまで先生があれやこれや手取り足取りアナウンスして管理してくれていた中学とは違う。自己責任。
    自分で考えて行動することの大事さをここで学んだ。

    自己責任だから、自分が何を求めているのか、何がしたいのかを自分とたくさん向き合って後悔のないようにしようと思いました。

    自分の気持ちと向き合うこと、自分を大切にすること、自己肯定感へ。

    恋愛や、勉強、それなりに辛いと思う出来事ももちろんあって。その時に意識していたことは、「後悔したくないから、ひたすら自分と向き合うことが大事で、他人は自分の人生の代わりなれない。」ということだった。何が後悔に繋がるか、と考えた時に、私は「自分と向き合わずに他社へ自分の人生の決定権を委ねてしまうこと」だと考えていた。自分の決断に自分で責任を負えないことは、何よりも悔しい、後悔に繋がると思っていた。
    「自分が何を考えていて、どうしたいのか。」向き合う時にいつも出てくるのは「弱くてコンプレックスがある自分」で。
    だから自分と向き合う時間は辛いのだけれど、でもここで逃げいていてもいずれまた同じ問題に向き合う時が来てしまう。
    そう考えて、私は何か問題が起きた時には自分と向き合うようにしていた。そして捻り出した答えを元に行動したり、しなかったり。
    それはつまり、「自分の考えや感覚、感情を信じて、受け入れ、自分のために行動すること」だった。
    信じて、というか、受け入れるという言葉の方が近いかもしれない。
    このことが、自分を認める=自己肯定感の高さへ繋がっていったんだと思う。自分の良い部分も悪い部分も、カッコ悪い自分、汚い自分、ドロドロした自分、そんな自分も自分で、恥ずかしいことじゃないんだって。

    高校生編まとめ

    個性を認めてくれる穏やかな環境で、伸び伸びと、それはもう自分のやりたいことを伸び伸びとできた環境で、自分と向き合うことで自己肯定感が高く安定していた高校生時代を過ごしていました。
    (ここでは割愛しますが、もちろんメンヘラな時もありました。特に恋愛において笑)
    その高い自己肯定感を持ったまま、大学へと進学しますが…。

    次回はADHD診断が下った『大学生編』をお送りします!
    ここまで読んでくださり、ありがとうございました( ^ω^ )!

  • ADHDをカミングアウトしたほうがいいの?

    ADHDをカミングアウトしたほうがいいの?

    カミングアウトへ至る経緯

    2020年より転職しました。この件についてはまた後日詳しく書きたいのですが。。。
    正直、ADHDの私が来てはいけない職種の職場へ入りこんでしまったとすぐにわかりました。
    職場で働いている時間は常に自分の苦手なことを意識する必要があるし、慣れない場所での慣れない人間関係。
    前職ではそんなこと思わず仕事ができていたのに。。。
    食欲もなくなり、仕事へ行くことが苦痛で胃が痛くなり。
    そんな状況を、親友に話していた時。
    「私にはこんな特性があって、そこが今の職場と相性が悪くて、すごく辛い」ということを聞いて欲しい、と思いました。
    また、前から「親友には私のこと知って欲しい」と思っていました。「このタイミングで言うぞ…!」と、カミングアウトをする決意をしたのです。

    カミングアウト怖すぎるよね!?

    カミングアウトが怖くない人もいるのかもしれない。
    でも私はめちゃくちゃ怖かった
    2015年に診断されてから、自分を責めまくっていた。
    「友達と喧嘩したことも、好きな人にフラれたことも、今までの人間関係でうまくいかなかったこと全部自分のせいだったんだ。」
    「苦手なことある自覚はあったけど、それは脳の特性のせいで、普通の人より劣っているんだ」
    「自分はダメな人間なんだ。普通じゃないんだ。普通でいないと嫌われる、普通でいなきゃ、普通でいなきゃ。。。」

    診断される前は自己肯定感が高かったのにね。
    診断されてから「普通であること」にこだわり続けていた。
    普通であろうとする度に、どんどん自分は消えていった。

    「ADHDであることをカミングアウトする」ということは、
    「自分は普通ではない」ことを表現することになる。
    それはこれまでこだわり続けていた、自分がそうあろうとしていた「普通であること」を放棄すること。
    そして、「ADHDの特性があること」を受けいれなくてはならないということになる。

    自分のコンプレックスを認められる強さが私にはまだなくて。
    でも、もういい加減に「変わりたい、ADHDの自分を認めたい」と思うようになった。

    でもさ、やっぱり怖いの!!

    受け入れられなかったら??そんなの誰にでもあるでしょって話聞いてもらえなかったら??自分のダメなところ、言えないよ。。。怖い怖い、でも変わりたい(´;ω;`)と思ったから、勇気を出そうと思った。

    いざ、カミングアウト!

    大学からの親友へ、いざ、伝えるぞ。某チェーン店のレストランで向かい合う2人。伝えるのがやっぱり怖くなって、トイレに立つ。「ああああ怖いよおおおおお(´;ω;`)でも言わなきゃ、言いたい…!」トイレから戻り、席に座る。もじもじしつつ、口に出す。

    あのね、ちよっと重いかもしれないんだけど話したいことがあって…

    え、なになに??全然いいよ!

    (目に涙を溜めながら)私、病院で検査も受けて、発達障害の傾向があるって言われて、
    病院に通ったり、薬を飲んだしてたの。だから、空気読めなかったり、苦手なことがあって、努力でどうにかできなかったり、(グズグズ)

    うん??それ前に聞いたよ!!!笑

    え???!!!言ってたっけ!!!???病院で検査受けたことも??

    うん、聞いたよ!!笑

    そうなのです。なんと、私はすでにカミングアウトをしていたらしいのです。
    しかし、なんということでしょう、そんな大事なことをすっかり忘れていたいのです!!!
    本当に記憶がなかった。。。

    カミングアウトした後の気持ち

    友人は、既に知っていたけれど、態度を変えずに接してくれていた。
    私は私でいいんだ。と思った。苦手なことがあるけど、でも私は私でしか考えられないし、
    判断できないし、感じることはできない。

    ここで私は、思いました。
    「自分だけがこんなに気にしていたのって、ちょっとばかみたいだ。」

    周りの目を気にしていた。でも、何より自分が一番自分にレッテルを貼って、
    「自分はADHDだからダメ人間だ」「自分は何もできない、失敗だらけだ」
    と勝手に思い込んでいたんだ、誰よりも自分が。自分の可能性を全部捨てていたんだ。

    この一件で、気持ちは軽くなったけれど、それでもこのレッテルはどんな環境に自分が身を置くかで大きく変わってくる。
    なので本当に、自分に合った仕事、職場を見極めないと、苦しくなる人が多いんだと思います。

    自分が大事だと思う人に伝えて、受け入れられたことで、私は「自分は存在していてもいいんだ」と、大げさではありますが思えました。

    結論:大切な人に、カミングアウトしてもいい。

    一般的にはまだまだADHDについて知られていない状況。
    大切な人がから、自分のことを知ってほしい。これは誰もが思うことだと思います。
    もちろん、勇気がいること。自分を曝け出すのですから。
    カミングアウトすることで、自分のことを受け入れられるきっかけにもなります。
    もし、カミングアウトしたことで、悲しい結果になってしまったとしても、
    「カミングアウトできた」という行動をしたこと自体が、自分を大事にできたぞ!と思える大事な一歩だと思います。
    特に自尊心が下がり、周りの目を気にしてしまいがちな私たちにとっては、それがどれだけ大きな一歩か。

    カミングアウトしたからといって、すべてが好転するわけではありません。
    今もまだ、私は自分のことを「ダメなやつ」だって思ってしまいます。
    でも、少しずつ。自分を大事にすることを積み重ねて、自分のことを大事にできるように、一歩一歩歩んでいきたいです。

  • 高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話①幼少期から中学生編

    高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話①幼少期から中学生編

    ADHDシリーズを始めます!
    幼少期から中学生までのことを書いていきます。

    幼少期

    保育園生のわたしの記憶。朝起きるのが辛かった。母が面倒を見てくれていたから、遅刻することはなく。
    多動はあまりなかったと思う。
    絵を描くことと歌うことが大好きだったし、よく笑って過ごしていた。
    友人は多かったのかな、一人浮いているといことはなく、仲良し3人組の友達とよく遊んでいた。
    保育園生の時なんてみんなおっちょこちょいだろうけども、覚えているやらかしたエピソードは。。。
    当時は団地に住んでいて、狭い部屋だった。トイレの扉近くに石油ストーブが置いてあった。
    トイレからでる際、おしりを丸出しで出てきたわたし。
    ふと振り返ると、おしりが石油ストーブに当たり、火傷をした。
    こんな記憶しかない。

    小学生

    保育園の時のように、全て母がやってくれるのではなくなり、自分で管理をしていく必要が出てくる時期。
    小学校で仲良くなった近所に住む女の子と「毎朝一緒に学校へ行こうね」と約束した。
    わたしの家のほうが彼女より学校に近かったため、彼女がうちまで来てピンポンを鳴らし、一緒に行くことになっていた。けれども。
    よく時間ギリギリになり、というか時間を過ぎることが多かった。(あすかちゃんごめん)
    小学校では友達がたくさんできた。団地に住むたくさんの小学生とも遊んでいた。明るい子供だったな〜〜〜。

    この時のADHDあるあるは、

    • プリントを溜めてギリギリになってお母さんに渡して怒られる
    • 遠足などで作ってもらったお弁当を溜める
    • 夏休みの宿題はもちろんギリギリまで
    • 自宅の勉強机の上が冗談抜きで物が大量に積み上がっていて勉強スペースなんてない
    • カバンの中に潰れたおにぎりが入っている

    でした。お母さんからよく叱られてた。なんでいつもギリギリなの!!!もっと早く言わないとだめでしょ!とか。
    他にもいろいろあったはずなんだけれども、覚えていないので割愛します!!

    わたしは転校を2回しました。2年生の冬、3年生の秋。
    3年生の秋から通うことになった小学校での4年生から、強制的にガチなドッチボールをやるはめになった。
    これが本当に苦痛だったのです。。。痛いし、勝ち負けに全く興味がないので、勝ちたい気持ちがない。(致命的ですね)
    そして運動が得意でもなければ好きでもなかったし、顔面にボールが直撃したりして辛かった。
    わたしの両親はスポーツ経験者だったし姉(2個上の姉がいます)が運動神経がとても良かったので(姉はずっとバスケをやっていました)
    なかなか辞めたいとも言えないし、クラスのみんながやっていたからそもそも辞められるものでもないと思っていた。
    本当に大嫌いだったなドッジボール。。。人に向けてボールを当てるという発想がもう怖くないですか???!

    ということで小学生編はここまで(^∇^)

    中学生編

    部活

    中学生になりまず選択を迫られるのは、「どの部活に所属するか」ということ。
    前述したとおり私は運動が苦手だし自ら行うほど好きでもないので(姉が得意だったから少しはコンプレックスがあるかも)
    当時、絵を描くことが好きだったので、「美術部に入ろう」と思っていたけれど、

    • 当時、私以外に入部希望者が一人もいなかった
    • 美術の先生がみんなから嫌われていた先生だった
    • 父から「中学生のうちは運動部に入りなさい」と言われた(今になってこの話をすると父は「そんなこと言ったけ?」と。言いました笑)
    • 仲の良かった友人が入ると言ったから

    という理由で、ソフトテニス部へ入部しました。
    二年生が一人もおらず、三年生のみだったため、三年生が6月頃に引退した後は上下関係がなくなり、何も気にせずいられたのでとても気楽にできていました。
    部活でも顧問の先生は穏やかな人だったし、仲良しな友人もできてそれなりに楽しく部活動をしていました。
    3年経ってもバックハンドが一向にうまくならなかったな。。。笑

    勉強

    小学生の頃はそこまで勉強に力を入れていなかったけど、なぜか中学生になり勉強を頑張るようになった。中学生に入り、進研ゼミを始めた。
    ずっとやりたくて親に頼んでは「必要ない!」と言われてたけど、中学生に上がりやらせてもらえるようになった。
    その結果、勉強に精を出すようになり、最初のテストで450点(平均点90以上)を超えた。
    一度450を取ると、そのあとも450以上を目指すようになった。
    ちなみに、地頭がいいとかではなく、ひたすら隙間時間に進研ゼミの暗記集で暗記をしたり、
    テスト前は学校の空き時間も勉強していたり、ガリ勉、努力の賜物だった。
    課外研修でクラスのみんなで電車に乗っていた時も勉強したた(笑)
    好きとかではなく、使命感?からやっていた。
    450以上を取れたら、親が漫画を買ってくれたので頑張れていたのもあったかもしれない、といか大いにある。(漫画大好きなので)
    わからないことがあるのが嫌だったのもあって、何度も復習したりして。
    ある地方県内で1、2を争う進学校へ無事進学できた。

    友人

    当時、今に較べてフレンドリーだった、気がする。私が通っていた中学はほぼ通ってた小学校からの持ち上がりだったし、町内のもう一つの小学校と合併するだけだったので、環境の変化にそこまで戸惑うことはなかった。
    自然と友人はできていき、親友もできた。今は人と話す時に何話そう、どうしよう。。。などと思うことが多いけれど、当時はそんなこと考えずに安心して話せていた。
    ちなみに、新しく仲良くなった友人からは、「入学式してすぐにnoromaって本読みながら爆笑してたよね」と言われたことがあります。
    全く記憶がないけど、変なやつだったなあ。
    中学生の頃は本当に楽しかった。友達とも喧嘩をしたこともあって、喧嘩をしても自分の気持ちを話してぶつかって仲直り。

    中学生だからもちろん女子グループ同士の争い?のようなものがあって。
    私のグループ(3人だけだけど)は特に争いもなく平和だったし、誰が誰のことを嫌いで、男女の恋愛が絡む人間関係とかもあったけれど、
    鈍感な私はそういう噂話や人間関係を察知せず、何も知らずのびのびと過ごしていた。
    あと、そんなに興味がなかったのかも。
    よくあったのは、後になってから噂話や人間関係の話を知ること。
    「え、知らないの!?」とよく言われることがあった。鈍感故の良いところはこういうところだなあと思います。

    いじられキャラ?友達付き合い

    多分、わたしはどちらかと言えばいじられキャラだったようにも思える。
    自分では特に面白いと思わなくても笑われたりすることもあったし、
    小さなドジをよくやらかしていたので。。。

    今までの話からもわかるように、わたしは友人に恵まれている。
    いじめられたり、嫌がらせをされたことはない。
    「なんかよそよそしいな?避けられているかな?怒らせたかな??」
    と感じて気まずくなることは勿論あって。でもそういう時は本人に聞かないと本人の気持ちがわからないし、
    自分の頭で想像してたって本人に聞いてみないとわからないし、
    ぐるぐる自分で考えるだけ損じゃね?って思っていたから、
    「怒らせたかな?」と思ったら友達に聞くようにしていた。
    そんで話て謝って仲直り、的な。
    お調子者なところもあって、友人をからかって怒られたこともあったし。笑

    中学生の頃、日記をよく付けていて。
    自分の気持ちを書いていた。
    その当時かんがえていたのは、物事は一つ一つ繋がっていて、無駄なことってないんだろうな。
    今わからなくても、後になってわかることもある。
    自分の気持ちと向き合うことから逃げなかったんだろうな。

    幼少期〜中学生編まとめ

    幼少期から中学生までは、特段そんなに悩んでいなかった。
    もちろん、忘れているだけで当時も当時でたくさん考えて悩むこともあったけれど、
    自分のことを「ダメ人間」と思うことはなかったし、
    いじめをされたこともなく友人たちに恵まれて生活をしていた。
    ボケていても、しっかり者の友人が助けてくれていた。

    ということで、次回は高校生編です!!!!!!

    ここまで読んでくださりありがとうございました(^∇^)!