高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話①幼少期から中学生編

ADHDシリーズを始めます!
幼少期から中学生までのことを書いていきます。

幼少期

保育園生のわたしの記憶。朝起きるのが辛かった。母が面倒を見てくれていたから、遅刻することはなく。
多動はあまりなかったと思う。
絵を描くことと歌うことが大好きだったし、よく笑って過ごしていた。
友人は多かったのかな、一人浮いているといことはなく、仲良し3人組の友達とよく遊んでいた。
保育園生の時なんてみんなおっちょこちょいだろうけども、覚えているやらかしたエピソードは。。。
当時は団地に住んでいて、狭い部屋だった。トイレの扉近くに石油ストーブが置いてあった。
トイレからでる際、おしりを丸出しで出てきたわたし。
ふと振り返ると、おしりが石油ストーブに当たり、火傷をした。
こんな記憶しかない。

小学生

保育園の時のように、全て母がやってくれるのではなくなり、自分で管理をしていく必要が出てくる時期。
小学校で仲良くなった近所に住む女の子と「毎朝一緒に学校へ行こうね」と約束した。
わたしの家のほうが彼女より学校に近かったため、彼女がうちまで来てピンポンを鳴らし、一緒に行くことになっていた。けれども。
よく時間ギリギリになり、というか時間を過ぎることが多かった。(あすかちゃんごめん)
小学校では友達がたくさんできた。団地に住むたくさんの小学生とも遊んでいた。明るい子供だったな〜〜〜。

この時のADHDあるあるは、

  • プリントを溜めてギリギリになってお母さんに渡して怒られる
  • 遠足などで作ってもらったお弁当を溜める
  • 夏休みの宿題はもちろんギリギリまで
  • 自宅の勉強机の上が冗談抜きで物が大量に積み上がっていて勉強スペースなんてない
  • カバンの中に潰れたおにぎりが入っている

でした。お母さんからよく叱られてた。なんでいつもギリギリなの!!!もっと早く言わないとだめでしょ!とか。
他にもいろいろあったはずなんだけれども、覚えていないので割愛します!!

わたしは転校を2回しました。2年生の冬、3年生の秋。
3年生の秋から通うことになった小学校での4年生から、強制的にガチなドッチボールをやるはめになった。
これが本当に苦痛だったのです。。。痛いし、勝ち負けに全く興味がないので、勝ちたい気持ちがない。(致命的ですね)
そして運動が得意でもなければ好きでもなかったし、顔面にボールが直撃したりして辛かった。
わたしの両親はスポーツ経験者だったし姉(2個上の姉がいます)が運動神経がとても良かったので(姉はずっとバスケをやっていました)
なかなか辞めたいとも言えないし、クラスのみんながやっていたからそもそも辞められるものでもないと思っていた。
本当に大嫌いだったなドッジボール。。。人に向けてボールを当てるという発想がもう怖くないですか???!

ということで小学生編はここまで(^∇^)

中学生編

部活

中学生になりまず選択を迫られるのは、「どの部活に所属するか」ということ。
前述したとおり私は運動が苦手だし自ら行うほど好きでもないので(姉が得意だったから少しはコンプレックスがあるかも)
当時、絵を描くことが好きだったので、「美術部に入ろう」と思っていたけれど、

  • 当時、私以外に入部希望者が一人もいなかった
  • 美術の先生がみんなから嫌われていた先生だった
  • 父から「中学生のうちは運動部に入りなさい」と言われた(今になってこの話をすると父は「そんなこと言ったけ?」と。言いました笑)
  • 仲の良かった友人が入ると言ったから

という理由で、ソフトテニス部へ入部しました。
二年生が一人もおらず、三年生のみだったため、三年生が6月頃に引退した後は上下関係がなくなり、何も気にせずいられたのでとても気楽にできていました。
部活でも顧問の先生は穏やかな人だったし、仲良しな友人もできてそれなりに楽しく部活動をしていました。
3年経ってもバックハンドが一向にうまくならなかったな。。。笑

勉強

小学生の頃はそこまで勉強に力を入れていなかったけど、なぜか中学生になり勉強を頑張るようになった。中学生に入り、進研ゼミを始めた。
ずっとやりたくて親に頼んでは「必要ない!」と言われてたけど、中学生に上がりやらせてもらえるようになった。
その結果、勉強に精を出すようになり、最初のテストで450点(平均点90以上)を超えた。
一度450を取ると、そのあとも450以上を目指すようになった。
ちなみに、地頭がいいとかではなく、ひたすら隙間時間に進研ゼミの暗記集で暗記をしたり、
テスト前は学校の空き時間も勉強していたり、ガリ勉、努力の賜物だった。
課外研修でクラスのみんなで電車に乗っていた時も勉強したた(笑)
好きとかではなく、使命感?からやっていた。
450以上を取れたら、親が漫画を買ってくれたので頑張れていたのもあったかもしれない、といか大いにある。(漫画大好きなので)
わからないことがあるのが嫌だったのもあって、何度も復習したりして。
ある地方県内で1、2を争う進学校へ無事進学できた。

友人

当時、今に較べてフレンドリーだった、気がする。私が通っていた中学はほぼ通ってた小学校からの持ち上がりだったし、町内のもう一つの小学校と合併するだけだったので、環境の変化にそこまで戸惑うことはなかった。
自然と友人はできていき、親友もできた。今は人と話す時に何話そう、どうしよう。。。などと思うことが多いけれど、当時はそんなこと考えずに安心して話せていた。
ちなみに、新しく仲良くなった友人からは、「入学式してすぐにnoromaって本読みながら爆笑してたよね」と言われたことがあります。
全く記憶がないけど、変なやつだったなあ。
中学生の頃は本当に楽しかった。友達とも喧嘩をしたこともあって、喧嘩をしても自分の気持ちを話してぶつかって仲直り。

中学生だからもちろん女子グループ同士の争い?のようなものがあって。
私のグループ(3人だけだけど)は特に争いもなく平和だったし、誰が誰のことを嫌いで、男女の恋愛が絡む人間関係とかもあったけれど、
鈍感な私はそういう噂話や人間関係を察知せず、何も知らずのびのびと過ごしていた。
あと、そんなに興味がなかったのかも。
よくあったのは、後になってから噂話や人間関係の話を知ること。
「え、知らないの!?」とよく言われることがあった。鈍感故の良いところはこういうところだなあと思います。

いじられキャラ?友達付き合い

多分、わたしはどちらかと言えばいじられキャラだったようにも思える。
自分では特に面白いと思わなくても笑われたりすることもあったし、
小さなドジをよくやらかしていたので。。。

今までの話からもわかるように、わたしは友人に恵まれている。
いじめられたり、嫌がらせをされたことはない。
「なんかよそよそしいな?避けられているかな?怒らせたかな??」
と感じて気まずくなることは勿論あって。でもそういう時は本人に聞かないと本人の気持ちがわからないし、
自分の頭で想像してたって本人に聞いてみないとわからないし、
ぐるぐる自分で考えるだけ損じゃね?って思っていたから、
「怒らせたかな?」と思ったら友達に聞くようにしていた。
そんで話て謝って仲直り、的な。
お調子者なところもあって、友人をからかって怒られたこともあったし。笑

中学生の頃、日記をよく付けていて。
自分の気持ちを書いていた。
その当時かんがえていたのは、物事は一つ一つ繋がっていて、無駄なことってないんだろうな。
今わからなくても、後になってわかることもある。
自分の気持ちと向き合うことから逃げなかったんだろうな。

幼少期〜中学生編まとめ

幼少期から中学生までは、特段そんなに悩んでいなかった。
もちろん、忘れているだけで当時も当時でたくさん考えて悩むこともあったけれど、
自分のことを「ダメ人間」と思うことはなかったし、
いじめをされたこともなく友人たちに恵まれて生活をしていた。
ボケていても、しっかり者の友人が助けてくれていた。

ということで、次回は高校生編です!!!!!!

ここまで読んでくださりありがとうございました(^∇^)!


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