心の穴が埋まるまでの記録 2022/5/27

ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。


いつもパソコンから書いていましたが、スマホからもアプリですぐ書けるとわかったので書こうとと思う。
ただ、いつもサムネに自分で撮った写真を選んでて、そこは外したくないけど写真のデータはパソコンにあるので、またあとでまとめて写真は設定しようと思います。


街コンで知り合った人と会って来た

先日街コンへ行った。たくさんの人と話せて、そこで自分は過去の自分みたく、自己肯定感が高い頃の自分みたく、人に興味を持って、かつ、人と怖がらずに、話をすることができて、本来の自分に少し戻れて来たのかな?と錯覚するほど。
他人=自分を傷付ける存在という図式が無意識下に刷り込まれていたけど、それはどうやら違うらしい、と腑に落ちた。
お話をした初対面の方々は、普通の人、だった。そうか、自分に敵対心を持ってると、自分が思い込んでいて、しかも無意識に。
心が少し軽くなって、前みたく、もっと世界を広げていきたいと思えた。

と、前置きが長くなったけれど。

街コンで10分ほど話して楽しいと感じた人にご飯に誘われたので行ってきた。
会って話すと、自分と合うか合わないかってわかるものなんだなぁ、と思った。
もちろん、時間をかけてわかっていくこともあるけど、そうじゃない場合もあるんだってこと。
正直、今日お会いした方は私とは合わない人だな、ということ。今までだと、「もしかしたら、何回か会えば合うのかも」とか、「そんなふうに勝手に合わないと決めつけるのはどうなんだ?間違えたらどうするの?」と、自分の感覚を疑ったり、信じられない気持ちがあった。ただ、今回は、はっきりと、「これ以上会っても交わることはない」と思った、というか、感じた。
そして、自分は「間違えたくない、間違える=ダメ人間」という考えと、「正しいことは良い、間違えることはダメ。」という考えと、あとは奥底に、「ADHDの自分は普通じゃないから、考えや感覚は他の人と比べて間違ってる」「間違えると、ADHD=ダメ人間であることが証明されるから、ダメ人間ではいけない」と思っていることを改めて気付けた。
ていうか、前にもその思考癖が良くないって思ってたのに。まだこんなにこびりついてるとは。

自分のこの感覚、心は、正しいか間違ってるかじゃないんだよね。今は、そう感じてるってこと。後から、間違えたかもって後悔して、責任を自分で取るのが怖いんだ。


ヤ◯ト、配達に来てないのに翌日不在票入れる問題

これ、何回かあります。というか、最近は連続してあった。
Amazonやネットで頼んだ物は、配達状況をわりと確認してて、昨日不在票は入ってなかったけど、ネットのデータ上は19時8分に配達に来ましたが不在のため持戻りってあって。いや、来てないやんけ!!!
そしてさっき、家のドアにある郵便受けに
昨日の日付の不在票がばっちり入ってた。
これは再配達してないからまぁいいとして、再配達した時に待ってても来なくて、何回もポストに不在票ないか確認しても来なくて、後から不在票入れられたことがあって。
その日は午前中にその荷物を受け取りたかったのに受け取れず、決めてた予定が狂って、めちゃくちゃ腹が立ったので、電話してクレーム…というか普通に状況説明してどういうことですか?って言った。
その時は、チャイム鳴らしたけど聞こえてなかったんじゃないですか?ってのと、不在票はドアのポスト受けの中でひっかかってたんじゃないですか?って言われてさらに腹立った。そんなはずないわい!!!

それから、今回の再配達指定ではない荷物(ただ、当日着にはなってたけど)が持戻りになってたけど実際は来てないし次の日に不在票入れられるっことがあって、
その時、また電話しようかと思ったけど、やめた。
怒るのって疲れるんですよね。でも、それを主張しないと自分を蔑ろにしてる気がして嫌だった。でも、怒ると疲れちゃう…。
この時、「あ、私は今、怒ることもできるし、怒らないこともできるんだ」って、よく自己啓発本で言われてることが腑に落ちた。
なんだろ、ここで「自分が大事に扱われなかった!ぞんざいにされた!」って思う時って、自分の価値が減るような感覚になって、自分の価値が減ると、生きていけない、存在できないような不安感に襲われるから、怒っていたけど。
他人から、ましてや配達業者なんて他人もいいところ、そんな他人からぞんざいに扱われたとして、(しかも、相手は別に私をぞんざいに扱ってる意識もないだろうし。面倒だとか、配達が時間内に終わらなかったから行ったことにしとこ〜的な気持ちだろうし)
自分の価値、自分の何かは減るのか?と考えたら、答えは「減らない」んですよね。
この感覚は、私が自己肯定感高かった頃は当たり前に持てていたことを思い出した。
他人からいじわるされた時や、嫌味を言われた時(ただ、嫌味については気付かないことが多い)、何か言われても平気だったのは、「他人が自分をどう思おうと、他人は私の全てをもちろん知らないし、私について悪く言ってきたとしても、私の本質は何も傷付かない」ってね、ほんっっきで思ってた。ちゃんと、腑に落ちてた。それがね、発達障害だって自分にレッテルを貼ると、一気に変わってしまうんだよね。

よく、スピとかワンネスとかなんとかで言ってる意識的になれって、こういうことなんだなって思った。何か感情が揺れてる時、観察するってこういうことなんだ。

ちなみに、明日再配達に来た時は、配達来てないのに持戻りになってて次の日に不在票が前日の日付で入れられてた件について、直接聞いてみようと思う!やっぱりちょっとむかつくわ!