心の穴がうまるまでの記録 番外編〜10年の片想いの終結1 〜2022/7/16

ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。
今回は番外編です!


元カレとのこと

大学生の時に少し付き合った人がいて。
色々と込み入った事情もあり、なかなか辛かったのですが。細かいところは省く。まじで長くなるので・・・

彼について。
同じ市内の違う高校出身で、同じ大学、同じ学部。それ故、お互い共通の友人・知人が多かった。
私は入学同時、一目惚れした先輩がいて、その先輩がいたからサークルに入り、彼もそのサークルにいた。
その先輩が大好きだったけど振られて、振られても好きなままだった。

私が作った曲を彼が気に入り、いっしょにバンドをやることになった。
それまでは1年くらい、ろくに話したこともなく、むしろ「ギターは死ぬほどうまいしセンスも天才だと思うけど、嫌なやつだな」と思っていた。
バンドを組んでから話すようになった。主に練習中だったり事務的なことだったりしていたけど、話すうちに共通の話題が多いことがわかり、いくらでも話せてしまう人だった。

好きな音楽もお互い近いものがあったし(だからこそ一緒にバンドやってたんだと思うけど)、お互いの共通の友人・知人、漫画、小説、趣味以外の日常のくだらない話も永遠とできて、「男の親友できた!!」と思っていた。

が、いろいろあって、まあ好きになり、両思いになり、3ヶ月だけ付き合っ
て別れた。

別れた後も、私はずっと好きだった。この10年の間、他の人と恋らしきものもしたが、相手に申し訳ないくらい元カレと比較しては「やっぱあいつじゃないとだめだ」と思っていた。

25歳くらいに、元カレと連絡をとり、たまに会えるようにまで漕ぎ着けた。
一緒にいると楽しくて落ち着いて、でもどこか不安な気持ちもあったけど、それでも大好きだった。
何より、頭と頭が繋がったような、そんな深いところで繋がっている安心感があった。
言わなくても、お互い、わかる。

だから、彼が私と付き合う気がないのもわかっていたので、次第に苦しくなっていって、
「叶わない恋を続けることに意味はあるのか?」「苦しいことに意味はあるのか?」
考えて考えて、「意味はないし、苦しいのであれば自分がかわいそうだ」という回答に行き着いて、もう会うのはやめようと決め、彼にも伝えた。

それから少し時間が経ち。このnoteの別記事にもある通り、私は自省することが大好きなので、相変わらずもいろいろと考えていた。

「意味がないと、存在してはいけないのか?」「この、誰かを好きだと思う自分の気持ち無価値なのか?」「叶わないと、意味はないの?」
・・・・・・・・・
いやそんなわけねえーーーーーーーー!!!!この!私の!この気持ちが!意味がないとか、そもそもそんな土俵じゃない。そこではなかった。
付き合えないと、彼と恋人同士になれないなら、好きでいる意味がないと思っていた。でも、そうじゃなかった。
一緒にいれるだけでよかった。一緒にいる時、彼は私を大事に扱ってくれてはいた。付き合えなくても、一緒にいて、笑ったりできるだけで、というか、それが大事だったのに、私は形式的なことに拘って、大事なことを見過ごしていたんだ。

そう思ってから、また彼と数回会った。会ったけれど、彼から「もう会わない」と言われ、それからは一度も会わず、今に至る。
「もう会わない」と言われた時、なんで?どうして?他に好きな人ができたの?とかいろいろ理由を聞こうとしたけど答えてはくれなかったし、私も聞くのは怖かった。

これが確か、2018年の出来事。

忘れるためにいろいろやってみた!

さて。ざっと彼との流れをお話ししたところで。この10年間の葛藤やいろいろについて話す。
会えもしない人を好きでいるほど、メンタル強くはないので。この10年の間、出会いを求めての活動も行いました。少ないけど!

合コン

男友達に頼んで、合コンをしてみた。が!!他者と比較することで余計に「やっぱ元カレがいいな」という思いが強まる。

街コン

友達と街コンに行ってみた。が!!!個性が強めな男性が印象的だった。連絡先を交換しても、連絡したい人もいなかった。終了。

マッチングアプリ

文章って人となりが出やすいじゃないですか。そういうのを分析したり、なんか別の楽しみを覚えたのと(一種の人間観察的な)、メッセージのやり取りが面倒で全く使わなかったし誰とも会わずに終了。

時間が経てば忘れるよという通説

これは本当によく言われるけど、自分には全く通用しなかった。
まじで時間経っても全然大好きだもんね。時間なんて関係ない。

いろいろやってみた結果

自分は彼氏が欲しいのではなく、好きな元カレと付き合いたいのだと再確認する結果となりました!!!

忘れようとすればするほど、辛くなった

忘れようと努力もしてみたし。時間が経てば、他に出会いがあれば、忘れられる。
てか、会えもしない、好かれてもいない人を好きでい続けるとか自分おかしいよな。こんなの、恋じゃないんじゃない?本当に好きなの?執着してない?
変な意地でも張ってるんじゃない?そこに愛はあるんか???
いろいろ自問自答した。たくさんたくさん、考えた。でも。感情なので。
頭で考えるものではないので。
自問自答しても、いつも答えは「彼が好き」だった。
(「愛がなんだ」という映画を観て共感しすぎて泣いた。いまだにあの映画を見返せない。ちなみに、原作も読んだとてもよかった・・・)
ADHDと診断されラベルを自分に貼るようになってから、私は自分の感情も疑うようになっていた。
本当に、好きなのか?執着、手に入らないからとか、他に理由があるのでは?
でも、やっぱり、私は彼が好きなんだ。
そう思えるようになったら、一気に楽になった。自分が自分でいてもいいのだと、そういう感覚というか。
付き合えないから、叶わないから、好きでいることを止めて、自分の気持ちに嘘をつく方が何倍も何倍も辛いのだと気がついた。
それに気がついたのが多分2017年くらいか。
正直、この回答に行き着くまでまじで辛かった!!!がんばった、ほんと。

自分の感情に素直にしか生きられない

あくまで、私の場合です。
長年の片思い、友達にも言いづらかったりした。「他にいい人いるよ!」とか、「時間が経てば忘れられるよ!」等、みんな私を思って言ってくれているのがわかった。だから、彼を好きだって友達には隠していた。けど。
自分で自分の感情を認めてからは、友達にも「まだ好きなんだよね!」と言っていた。友達も、そのレベルまで達すると励ますこともなくなった笑
でも私にはそれがとても心地が良かった。

長年誰かを想うということ、片思いをするということは、別に美徳でもなんでもない。
失恋して、他に好きな人を作る努力をして、好きな人ができたほうがいいに決まっている。
でも、もし私のように、長年の片思いをしている人がいて苦しんでいる人がいたら、一度はその片思いの気持ちを認めてあげると楽になるかもしれないよ、ということは言いたい。
10年片思いってあんまりないよね、多分。なかなか長いし、20代の10年間ずっと好きだったもん!すげ〜〜〜!
自分の感情を認めないことが、私にとっては死ぬほど苦しいことだったんですよ。もっと器用に生きられたら、自分が楽なように生きられたらとは思うけど、私は不器用な人間らしいので(まだちょっと認めたくない笑)
これからもそうやって生きていくしかないんだな、と思います。

長くなったのでここで一旦区切ります。続きは次の記事へ!