高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話②高校生編

「高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話」第二弾です!
前回の記事はこちら。

https://noromalife.com/%e9%ab%98%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%82%af%e5%ae%9a%e6%84%9f%e3%81%8cadhd%e3%81%ae%e8%a8%ba%e6%96%ad%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%81%a6%e4%bd%8e%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3

高校の新しい環境に慣れない、辛い。

中学校は小学校からの持ち上がりで、人見知りなんて知らず。
みんなのこと知ってるからね。
県内の進学校へ進学したけれど、友達の作り方がわからず。
自分の前に座っていた超可愛い女の子に驚いた記憶がある。
夏休みに入る前、一学期は友人たちと打ち解けられず、
なんというか、「素の自分」、「自然体の自分」でいられず、うまく話せなくてすごく辛かった。
中学の親友たちはみんな、新しい環境にも慣れて友達もできていて、
余計に辛く感じた。。。。
「自分ってこんなに話せない人だったの?」と思った。
でも夏休みに入る頃にはいつのまにやら慣れて話せるようになっていた。

変人が多く居心地最高の高校生活

慣れるまで半年かかったものの、慣れてからは最高に居心地のよい高校生活が待っていた。
高校には、個性の強い人がたくさんいた。
個性が強くて浮いてしまいそうな人でも、全く浮かない、というか、
いい意味でみんな他人への興味のなさがあったと思うし、
個性的な人を変な人と煙たがるような風潮が皆無だった。
みんなそれぞれが好きなことをしていた。
昼休みにコアなアニソンが流れていても、誰も批判しなかった。
中学にあった女子の派閥のようなものもなかったし、
中学にあったいじめのようなものも一切なかった。
他のクラスは知らないけど、男女のあれやこれやもなかった(これは欲しかったけどね)。
みんながみんなの個性を否定することなく受け入れ合うという、最高の環境でのびのびと毎日笑って生活することができていた。自分が「普通じゃない」なんて、1ミリも思っていなかった。

自分で考えることの大切さを学ぶ=自己肯定感に繋がる

校則がなくのびのび

私の通っていた高校があった学区内では私服高校が多くあり、私の母校も私服高校だった。
他校には珍しく、校則がなかったし、本当に自由な環境だった。
一般的な高校では校則がありそうなもので挙げるならば、

  • 金髪にしてもいい
  • メイクしてもいい
  • 指定ジャージ、指定の上履きがない
  • バイトしてもいい(許可不要)

などなど。というかそもそもの校則がなかったので気にしたこともなかった。だから自分の好きなファッション、好きなメイク、好きな髪型で過ごすことができたのもあって、本当にみんな伸び伸びとしていた。

だからといって荒れるということもなかった。
授業中の私語は全くないし(本当に静か)勉強に励みたい人の邪魔になる人もいなかった。

入学式で先生に言われたこと

入学して担任の先生に言われたことをよく覚えている。
「ここは高校だけど大学っぽいところだから、基本的には掲示板を見てテスト範囲諸々等を確認すること。先生からは何も言わないよ。もしそれで情報を見逃したりしても、自己責任です。この高校は自由だけど、その分全て自分の責任だよ」
という旨を言われて、中学を卒業したばかりの私は
「なんか怖い。。。」と思った。
それまで先生があれやこれや手取り足取りアナウンスして管理してくれていた中学とは違う。自己責任。
自分で考えて行動することの大事さをここで学んだ。

自己責任だから、自分が何を求めているのか、何がしたいのかを自分とたくさん向き合って後悔のないようにしようと思いました。

自分の気持ちと向き合うこと、自分を大切にすること、自己肯定感へ。

恋愛や、勉強、それなりに辛いと思う出来事ももちろんあって。その時に意識していたことは、「後悔したくないから、ひたすら自分と向き合うことが大事で、他人は自分の人生の代わりなれない。」ということだった。何が後悔に繋がるか、と考えた時に、私は「自分と向き合わずに他社へ自分の人生の決定権を委ねてしまうこと」だと考えていた。自分の決断に自分で責任を負えないことは、何よりも悔しい、後悔に繋がると思っていた。
「自分が何を考えていて、どうしたいのか。」向き合う時にいつも出てくるのは「弱くてコンプレックスがある自分」で。
だから自分と向き合う時間は辛いのだけれど、でもここで逃げいていてもいずれまた同じ問題に向き合う時が来てしまう。
そう考えて、私は何か問題が起きた時には自分と向き合うようにしていた。そして捻り出した答えを元に行動したり、しなかったり。
それはつまり、「自分の考えや感覚、感情を信じて、受け入れ、自分のために行動すること」だった。
信じて、というか、受け入れるという言葉の方が近いかもしれない。
このことが、自分を認める=自己肯定感の高さへ繋がっていったんだと思う。自分の良い部分も悪い部分も、カッコ悪い自分、汚い自分、ドロドロした自分、そんな自分も自分で、恥ずかしいことじゃないんだって。

高校生編まとめ

個性を認めてくれる穏やかな環境で、伸び伸びと、それはもう自分のやりたいことを伸び伸びとできた環境で、自分と向き合うことで自己肯定感が高く安定していた高校生時代を過ごしていました。
(ここでは割愛しますが、もちろんメンヘラな時もありました。特に恋愛において笑)
その高い自己肯定感を持ったまま、大学へと進学しますが…。

次回はADHD診断が下った『大学生編』をお送りします!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました( ^ω^ )!


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