カテゴリー: ADHD

  • 心の穴が埋まるまでの記録〜人が怖くなくなってきたかもしれん〜

    心の穴が埋まるまでの記録〜人が怖くなくなってきたかもしれん〜

    ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。

    他人は私を傷付ける力を持っていると思ってた

    ADHD診断前の、悟って生きていた時。
    「他人に何と言われようが、それはあくまで他人から見た自分だし、他人が私をどう見るかは他人が今まで生きてきた中で持っている価値観を通して見てるに過ぎず、その価値観はもちろん人によって異なるし、他人の価値観やその価値観を持つに至った経緯など私が知ることは出来ないし、それは他人も私に対して同じ。なので、他人から何かマイナスなことを言われて、悲しくなっても、私が私のことを傷付けようとしない限り、私の本質は傷付けられることはない。なので、他人は私を傷付けることは出来ない。傷付けられることができるのは自分だし、私は私を傷付けるようなことはしない」
    というメンタルで生きていました。
    (大学生時点でこう思っていたし、それをみんなわかってると思って私は生きていて、何かトラブルが起きてもこの精神で過ごしていたので、そりゃ相手からしたら「はぁ?!」って思ったよな〜と今になってわかる)
    ただ、ADHD診断を受けたことによって、他者は自分を傷付けることが出来るとい価値観にすり替わっていた。
    すり替わっていたことにも気が付かず、「普通であらねばだめなんだ!」と思って生きてきた結果、自分が消えてしまった。

    最近、ここ一年、自分と向き合ってきて、ようやく、「他人は私を傷付ける力はない」と、また実感できるようになった。
    知識としてあるのではなく、自分の深いところに落とすことができてきた、といいますか。

    そして昨日、無印でセルフレジを初めて使ったのですが。うまくバーコードを読めず、あれれ?と思いながら、バーコードと読み取り機械にある程度距離がないといけないということがわかり、無事に購入。
    購入後、横にいらっしゃった老夫婦が、私と同じようにバーコードの読み取りができずあれれ?となっていた。
    いつもなら、他人と関わることで自分が傷付くのが怖くて、他人に声を掛けることはしなかったのだけど。(昔は出来てたのに…😢)
    昨日は自然と、奥さんのバーコード機械を手に取って、「少し距離を空けるとできますよ」と言いながら、ピッと声を掛けることができた。
    老夫婦は笑ってくださって、私はまだ他人と関わるのに慣れていなかったので、そのままスッとその場を後にした。
    (後から、もっと目を見てゆっくり教えてあげればとか、もっと言い方を優しくすればよかっなぁと後悔した笑)

    もしもここで、「余計なことするな!」と言われたとしても、ショックだったり、悲しくはなるけど、悲しくなる≠傷付くなんだよな。
    そして「悲しいのと、傷付くのは違う」って、悟ってた自分は昔よく言ってたなと思い出した。
    そのことを、当時付き合ってた人に説明したけど、わかってもらえなかったな。そりゃそうだよね。


    おわり!

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/03/2

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/03/2

    ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。

    苦しい。友人からラインの返信がこない。やっぱり、私のことが嫌いなのかな?忙しいだけかもしれないし。勝手に妄想して悪い方向への物語を作っているし、自分の価値を外部に依存している。
    友達がいない=人としておかしい、魅力がない、価値がないからだって思考がある。その思考があるから、自分自身が千切れるような苦しみを感じている。
    その思考も、これまでに生きてきた中での外部の価値観であるわけで、自分自身で思考したものではないし、そして思考はそもそも自分ではない。ただ、空っぽな器に流れているのみ、変化していくもの、というのはわかるけど、やっぱ苦しい。同一化している。

    悲しいことに、私は自分を消すことができない。消そうとして、自分の価値を外部に依存し、他人の目を気にして生きるようになった結果、うつ病になりかけた。自分を消して、妥協して、自分を消して生きられるのであればそうやって生きたかった。でも、無理だった!自分が、そうやって生きられれば、大事な友達とも喧嘩せずにいられたのかな。わーーーーー!だめだ、また自分を責めている。人間関係は相互の関わり合いで成り立つもの、どちらか片方が完全に悪いとかはないし、そもそも自分の心の傷によるエゴだとか、相手も然り、思考≠自分という図式になるのであれば、そもそも善悪もないのだし、、、

    友達と気まずくなったことでこんなに重く考えるのとか、本当に自分は重いしうだうだ自分の中でこうでもない、ああでもない、と考えてしまって、もっと軽く生きろよ!と思うけど、中学生の頃からこんなんだから仕方ない。

    建前、嫌味、その裏に隠された察しろよという気持ち、それらが怖くて、わからないから、いや、わかる時もあるけど、どうしても怖い。
    診断受ける前は全然気にしてなかった、それは、自分が思ったことしか発言していないから。お世辞も、嫌味も、使ったことなかった。だから人から言われても気にならなかった、というか気付かないから、後になって「あれ嫌味で言ったんだけど」と言われたり、その場では「いいよ」と言われたのに後から「本当はこう思ってたのに」と言われたりして、「言ってくれればわかったのに・・・」とすごく悲しくなったし、嫌味やお世辞、察して欲しい気持ち、それらをこれまで気にして生きてこなかったし、ADHDという特性もあるかもしれないけど、自分はわからない、人よりも、気付かない。それで、自分が知らないうちに誰かを傷付けたりして、最近わかったけど、大半の人は自分が相手にされて悲しかったことを「悲しかった」と伝えずに、嫌なことされたと思ったら何も言わずに離れていく人が多いみたいで、(統計とかデータあるわけではないから正確なことはわからんけど)自分が知らないうちに、失望されて、大事にしたい人が離れていくのは、すごく悲しい。

    今書いていて思ったけど、診断受けてからADHDだって自分で自分をラベリングしちゃってるな。これ、よくない。そういうものでくくれないだろ、人間。

    なんのための言葉なんだ。お互いがわからないから、わかろうとするための言葉、コミュニケーションなのではないの。でも、私もだけど、まず自分の気持ちを内観することもなかなか難しいよね。どうして自分はこんな気持ちになっているんだろうって、私は考えるのが好きだし、答えが出ないとすっきりしないし、答えを出したつもりでも、それよりももっと深いところに原因があったりもするし、自分のことをわかるのも難しいから、その自分の気持ちを相手に過不足なく伝えるのはもっと難しいんだろうな。
    いっそのこと、みんながみんなエスパーになって、思っていることがすべて筒抜けだったら楽なのかもと思ったけど、わからないから、伝わることのほうが難しいから、だから、言葉を尽くしたり、言葉以外の表情や声音、仕草、態度、そういうのも含めて表現して、相手に伝わったらすごくすごく嬉しくて、相手と同じ感情を共有することもすごく嬉しくなるし、
    そもそも、心の声が全て筒抜けであれば言語も存在しなくなるのかな。思念のみでの会話というかなんというか。もしもそんな世界になったら、漫画や小説、そのほか日常に起こるドラマも存在しなくなって、それはそれでつまらない世界になるのかな。

    相手の本心なんてわからないのに。うん、わからない。自分で相手の気持ちを勝手に想像して、決めつけるのも違う。
    じゃあ、どういうスタンスで生きていけばいいんだ?必ずしも、本心を全て伝えることが良いとも言えない場面もあるだろうし。
    本音と建前は、日本社会で必要だって、ネットの記事に書いてあったし。まあ、人間関係を円滑にするためにも必要なのだろうけど。

    ある程度、距離があるというか、深く関わらない人にはそういう対応をしてもいいとして、自分が深く、関わっていきたいと思う人には、どうやって接していけばいんだろう。怖いんだもん。昔はまじで怖くなかったのに。嫌味を言われたのが、すごく悲しかったしショックだったんだな私は。言葉をそのまま受け取って生きてたわ。もう、そうとしか生きられないんじゃないかって諦めるというか、受け入れるしかないのかな。なんか、こどもっぽくていやだなって、くそみたいなプライドがあるんだよ・・・
    落ち着いたクールでミステリアスな人間になりたかった。あーーーーーあ!そんな人間にはなれないんだ、諦めろ!!

    自分がいくら考えたところで、やっぱわかんない。明らかに真意を読み取れるところはそれでいくとして、よくわかんない時は、わかんないからって不安になってても心に悪いだけだから、そういう時は本人の言葉をその通りに受け取って考えよ。その言葉を発した人に責任があるんだわ。だから私も、自分が発した言葉に責任を持つようにすればいいよ。本心以外のことを言った場合、本心を隠すために言った場合、それを相手がどう捉えてどう行動しようが、その結果自分の望まないことになったとしても、それは自分の責任なのだから、相手に責任転嫁しないこと。
    だから同じように、相手が本心を隠して、察して欲しいという気持ちがあってもそれはわからんから、察して欲しい気持ちを隠して発言したその人にその発言の責任はあるから、察することができないことで不満に思われたとしても、それは私の責任ではない。
    っていう、他者との分離は、診断される前の自己肯定感くそ高い時代はあたりまえにできていたんですよね。当時の自分に戻りたいよ・・・
    戻りたい、絶対に戻る。怖いけど、戻るんだ、絶対に!

    はあ。苦しい。まだまだ埋まらねーーーーー!!

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/15

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/15

    大学生のときにバンドでオリジナル曲を作って演奏してて、歌詞も書いていた。
    聞いた人の心を動かせるようなライブがしたかったので、自分が表現したいことかつ普遍的なことの共通項を取り出して、できる限り直接的な感情表現は避けることを意識していた。(避けるだけであって、やっぱり直接的な表現はしてしまうけど)大好きなジュディマリのYUKIちゃんの歌詞がまさにそれ!だった。

    大学を卒業する前、ADHDと診断されたことをきっかけに、自分という存在に自信を持てず、外的なもので自分の価値を測るようになり、
    周りの人にどう思われるかで生きるようになってから、自分の心の声が閉ざされ、曲も歌詞も浮かばなくなった。
    以前は、メロディーも湧き上がるものがあったし歌詞もそう、そのあと思考でこねくり回す作業はあれど、心が主体といいますか。
    それが一切できなくなったけど、バンド等の作詞作曲や音楽活動は(といっても自分でちゃんと作ると時間かかるから考えたメロディーにメンバーにコード振ってもらったりしてた自分ではわからなかったので・・・あと楽器は下手だった)大学生の時にやりきったと思っていたので特段気にもとめなかった。
    それから数年、自分の心の声が閉ざされたことと、曲作り等の芸術活動ができなくなったことは関係があるのでは!?と思い始め、まあ、関係あるんですよねって気付いた。

    歌詞なんて正直恥ずかしいんですよ。自分の感情大爆発じゃん。恋愛ものばっかだしよ!でも、当時は恥ずかしさもなかったし、自分の曲めっちゃいいなと本気で思っていた。それは、自分の心や感情を認めることができていたからだと思う。でも、自分と繋がれなくなると、その表現のパイプも閉じてしまって、自己表現ができなくなるのです。自分がいなくなるという弊害。
    実際に、曲ではなくてグラフィックデザインのあれこれを作るようになったけど、自分の曲のように「めっちゃいいじゃん!」と思うことはほぼなかった。というか、あまり見たくないというか、好きにはなれなかった。自己の存在の軸を外に求めて生きるようになった結果がこれ。(それでもたまにいいじゃん!と思えるものは、先生に褒められたりもして、自分の感覚も信じてみてもいいのかもしれんとたまに思ったりもした)

    上記のことを、去年の夏頃に気が付いたけど、どうしても自分の存在を外に依存してしまうことから抜け出せず。そしてつい最近まで、それは続く。
    秋頃から自分を取り戻すためにあれやこれや試行錯誤していても、結局また苦しさや心の穴は埋まらずに振り出しに戻る、を繰り返していたが、一昨日くらいに、本当に久しぶりにグラフィック関連でものを作ったら、やっぱり楽しくて、しかも前は「人に認められたい・認められないと価値がない」という気持ちが強かったけど、ただ「楽しい」という気持ちで出来ていたので驚いたし、少しずつ自分を取り戻せている気がした。(それでもまだ心の穴は埋まっていませんが!!)

    そしてつい先ほど、詩を詩の投稿サイトへ投稿した。さっき、辛くて大泣きして泣き止んだタイミングで、書きたいことが浮かんで、そのまま夢中になって書いた。この感覚がすごく久しぶりだった。承認欲求からではなく、純粋に表現したいと思えた感覚。2つ詩を書いたけど、自分でも言うけど結構好きや!と思った。思えば、曲を作っていた時も、そういう、感情がエネルギー源だったんだ。主に恋愛で辛い〜〜〜ってことばっかを元にしていたなあ・・・承認欲求からではなく、もっと自分の心から表現したいことを本当に久しぶりにできた気がする。
    あと、デザインの専門学校の課題をやっていた時にも思ったけど、わたしは言葉を考えるのがわりと好きっぽい。小説とか長文は書けないけど、キャッチコッピーとかそういうの。

    今日もストレスでお腹がキリキリと痛んで、食欲もない。あ〜色々書いていたらもうこんな時間か。今日も、というか最近は人間関係に悩みに悩んでいてまじで辛い。つらい〜〜〜〜〜。勇気を出すのも、悲しむのも、疑うのも、泣くのも疲れたけど、死ぬことはできないし、生きるしかねえ。

    たまに詩を書いて、自分と繋がるためのリハビリをしていこうと思った。あと、グラフィック系のものとかも。でもどちらかといえば詩のほうが自分の心の表現か。

    わあもう寝ないと!

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/11

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/11

    心が限界。消えたい。穴が埋まらない。どうすれば埋まるのかもわからない。
    生きてて希望がない。自分がADHDだから?友達とも気まずくなってしまった。
    ずっと仲良くできる友人だと思っていたけど、ずっとなんてないんだ。
    それも、自分がADHDだからなのかな。そのせいなんじゃないのかな。
    昨年の10月から病んでしまって、このままだと迷惑がかかるからと人との関わりを絶っていたけど、
    それが逆に仇になっていたのかもしれない。
    原因はわかっている。ADHDだと自分にラベルを貼ってから他人が怖くなった。
    自己肯定感が低くなり、それまでは自分の価値は他者に依存せずに感じられていたのに、
    ADHDだから空気読めないんだ!他人は嫌味を言うし、それに自分は気付けないんだ。自分は人知らずに誰かを傷付けていたのかもしれないんだ。
    そう思うようになってから、人と会話するのが難しくなった。人に好かれないと、普通だって思われるようにしないと。そうしてだんだん自分が消えていった。
    やりたかった職業に一瞬就いたけど挫折したし、一番好きな人には一生会えない(死別ではない)。
    10月から、必死に自分と向き合って、よくなってきたと思っていたけど、今、親友だと思っていた人との関係が危ない。もうだめだ。死にたい。

    「ロマンスドール」という映画を観た。嘘をつかれた内容ではなく、話し合いをせず、「自分は信用されていなかったんだ」と思うことがすごく辛いんだ。嘘なんてどうでもよかった。
    私も友人にそういうことをしてしまったのかもしれない。あの時、すぐに言えばよかったんだ。
    でも、どう思うわれるか怖かった。離れていってしまったらって怖くて、本音も言えなかった。
    最初から言わなければよかったのかもしれない。
    なんで、経験して学ばないと理解できないんだろう。どうしてもっと早くにわかることができなかったんだろう。なんで人生はこの積み重ねなんだろう。辛くない?

    友人がいなくなることに対して、ものすごく恐怖感がある。そして、自分は自分の存在を確認するために、友人を利用していたのではないか?と気が付いた。ごめんなさい。
    ただ、ご飯を食べたり、くだらないことで笑い合えればいいのに。約束を反故にされたとか、私のことを大事に思っていない証拠だ!!なんて、そんなことは本当はどうでもいいことだったんじゃないか?
    もう、戻れないのかなあ。

    彼氏や旦那さんがいれば、こんな寂しさも自分が欠けている感覚も味わうことはなかったのかとも思うけど、彼氏ができたとしてもいなくなる恐怖心はなくならないし、旦那さんができても同様に離婚や死別もあるだろうし、子がいたとしてもその子もいつか自立するし。
    今私が持っている彼氏欲しい欲は、プラス要素のものを求めるのではなく、「自分は誰かにとって特別な存在だと感じたい」承認欲求からだ。結局、この欲求は底なし沼だし、埋まることはないのはわかっているので、自分で自分の心の穴を埋めるしかない、ということなんだけど。

    で!?それってどうやったら埋まるの!?と思って10月から心理学の本とか精神科医さんの本とかニューアースというスピ寄りの本とか(これが一番よかった)瞑想したり色々してきたけど、
    結局今、親友との縁が切れそうだし辛くて死にそう。これまでのあの時間は、自分と向き合っていたと持っていたあの時間はなんだったんだろう。まじで。

    この一年で、絶対に変わりたい。なので、ブログに記録していこうと思う。2022年12月末日、わたしは変われているかな。もうこんなに苦しいのは無理、呼吸ができない。

    ADHDと診断を受ける前は、めちゃくちゃ自分と繋がって生きれていて、またいつか詳しく書きたいけど、ニューアースの内容を全部理解できていていて、理解というよりかは腑に落ちていて、すごく幸せだった。中学生の時に桜が散るのを見ながら、「この世界は諸行無常で、永遠なんてないし、自分は明日死ぬかもしれないんだ、だったら死ぬ時に後悔しないように今を大事に生きよう」と本気で思っていた。悟って生きていて、すごく自然に生きれていたのに、今では真逆だ。

    長々と書いてしまった。このブログも続くかもわからない。ではまた。

  • ストラテラを夜飲んだら寝れなくなったので朝にした

    ストラテラを夜飲んだら寝れなくなったので朝にした

    ストラテラの量を、10mg→から20mgに増やしました。
    飲むタイミングも重要なのかな、と思い、
    今までずっと朝に飲んでいたので、夜にしてみたら、

    目が冴えて冴えて寝れねええええええええ!!!!

    となりました(^∇^)
    我々にとって、睡眠はもうほんとに大事じゃないですか。
    なんというか、脳が疲れる感じがひどいというか。
    一日が終わる頃には、脳が疲れてシャットダウン、というか。
    なのでほんとに!!!睡眠が!!!より一層大事!!!だと思ってます。

    夜飲んだら本当に目がガンガン冴えて。
    4回くらい、中途覚醒しました。辛かった(´;ω;`)
    次からは朝に戻したら中途覚醒なく寝られました。

    人によって違うと思うけど、私夜飲んではだめだなと思ったまじで・・・

    朝飲んで電車に乗ると、すんごく気持ち悪くなったりしません?
    それが嫌で、夜のがいいのかなって思ったんだけどなあ。

    みんないつ飲んでるのかな。朝夜の人もいるんだよね。

    薬の量増やしてから、今のところまだ感情は生きています。
    というか、3年前の薬増やしてた時期は仕事と学校で(社会人学生やってました)休みほぼなかったから(休みの日は全て課題、少ないけど友達と遊ぶ時間も取ったりで本当にしんどかった)それで若干抑うつっぽくなっていたのかも??
    専門学校もすごくハードだったので・・・
    それもあって感情が死んでたのもあるのかも?
    一概にストラテラを服用していたのが原因とは言えないのかもですね。

    何にせよ、人間がこころ穏やかに生きるためには休息は必要ですよ。
    人によるけど、私は自分の時間がある程度ないと無理だ。
    専門学校に行く時間は自分の時間だったから苦痛ではなかったけど、
    自分の時間の多くが仕事になることは本当にストレスなんだなっていうことが
    前回の無職になった際にわかったことですね。
    何だろ、時間に価値をめちゃくちゃ多く置いてるんだよなあ
    そこにはダラダラする時間も含め重きを置いてますね。
    だって毎日命を燃やして生きてるわけで、刻一刻と死へ進んでるんですよ。
    そう考えたらまじで自分が何に時間をさくのかってめちゃくちゃ大事じゃんって思うよね。

    ブログ書いてたらもう寝る時間だ!寝よ。


  • 2年ぶりに病院行ってストラテラ処方してもらった

    2年ぶりに病院行ってストラテラ処方してもらった

    前の仕事は薬なくてもいけたから辞めてたけど復活させた

    2018年から2年弱働いていた職場では、途中までストラテラを20mg服薬してました。
    仕事自体が、スピードを求められずコツコツ自分のペースで行える事務職だったため、
    仕事を1人で行えるようになってきた頃に「ナシでもいけるんじゃね」と薬を辞めました。

    薬を辞めても、仕事に支障はありませんでした。
    上司からは特に監視されていなかったし、ミスをしても自分が頑張れば問題なかったし。
    そして、ここの職場の前に働いていたコールセンターで、「自分がミスしやすそうなこと」が把握ができていたので、そこを気をつけるようにしたり。

    つい最近まで無職でしたが、最近から働き始めました。
    受電メインのお仕事で、前の職場よりも事務処理能力が求められる・・・
    仕事を覚えるまで、そしてどこでミスをしやすいかわかるまで、ひとまずまたストラテた飲み始めねば・・・と思い病院へ行くことに。

    実は、通院していた病院があったんだけれど、家から1時間半かかる。
    毎回、薬を貰うためだけに通院していたので、これを期に病院変えるか。と思って、
    家の近くのメンタルクリニックへ。

    勿論、紹介状なんて持っておらず。
    「紹介状ないと診てもらえないのかなあ」と心配しつつ、「まあ、いっか!」ということで行きました!!!

    コンサータも飲んでみたかったけど・・・

    前回、ストラテラを飲んでた時。効果はあれど、まあ感情が死ぬwwww
    夕焼け空を見て、「なんて綺麗なんだ・・・!」と思えていた感受性がなくなり、
    ご飯食べても美味しくないし、ライブに行っても心に響かない。
    ということになったので、ストラテラじゃなくてコンサータ(覚醒系)処方してもらおうと思っていた。

    ・・・が。
    コンサータを処方するには、先生自身と患者が何かに登録する必要があり(事情はよくわからん)、
    また、過去の患者がどんな様子だったかなどを客観的に報告する必要があると。
    客観的なデータとしてなら、過去に受けていたウェクスラーの検査結果があればと思ったけど、
    手元に結果がないし受けた病院は地元だから用意もできず。
    そんな事情があり、処方はすぐにできないと。
    先生、ちょっとめんどくさそうにしてたwwww
    「ストラテラが効いてるならいいんじゃないか?」って話になって、
    感情が死ぬって話もしたけど、まあとりあえずいいか、、、今飲んだら感情死なないかもだし、と思い、とりあえず処方してもらった。
    あと、コンサータはストラテラより高いらしい。

    あ〜〜〜コンサータ試してみたかったな!!!!!

    覚醒系だから、処方も慎重に行わないといけないんだって。

    ウェクスラーも心理士さんがいないと受けられないから、ここのクリニックでは受けられないって。
    私が通ってた地元の病院には心理士さんがいて、割とすぐに受けられてて、ラッキーだったんだなって思った。

    いつの間にか、ジェネリック出てた

    ストラテラ、いつの間にやらジェネリックが出ていて、前よりも安く済んでラッキー。
    それでも3割負担が続くのはキツイので、自立支援の申し込みをしようと思う。
    前回のものは勿論有効期限切れしてるから、また新規で申し込み。
    診断書貰うのに5000円くらいかかる(´;ω;`)
    でも1割負担には代えられぬ。市役所へ行かねば。

    左がジェネリック!

    感情死に出したら減らす

    20mg飲んでみます。感情が死にだしたら10mg…でも効果ないんだよね10mgは少ない・・・。
    コンサータ試してみたかったな〜〜〜〜


    以上!終わり。

  • 自分を表現することが嫌いになった

    自分を表現することが嫌いになった

    私は診断を受けるまで、本当に自尊心が高かった。いい意味で。
    小さい頃から、絵を描くこと、歌を歌うこと、自分を表現することが好きだった。
    高校生になっても、大学生になっても変わらなかった。

    自分の感じること、考えることを信じられていた。
    自他の区別をはっきりと付けることができていた。これがすごく大きいことだと思う。
    「私はこういう感じ方、考え方だけど、それはもちろん私以外の人はそうじゃない。だから、私が感じること、私の考えが私にとっては正解で、それは他者にも当てはまるんだよなあ。」
    と考えていたから、他人の目が今ほど気にならなかったのです。

    診断を受けてから、「私の感じ方、考えは普通じゃないんだ、そうなんだ、普通じゃないんだ、普通になりたい、普通でいないとダメ人間なんだ」と無意識に思うようになりました。

    大学在学中にも、他の人と感じ方や考え方が違うのかもな、と思うことはあっても、それが普通じゃないとか変なんて思ったことなかった。私は私だけで、私の感情と思考が私の世界の全てじゃん、そしてそれは他者にも当てはまるから、私の感情と思考が大切なように、他者の感情と思考も尊重するものなんだなあ、って。

    診断を受けて、「普通」に固執するようになった。自分が、よりも、人にどう思われるかを気にして、「こう言ったら嫌われないぞ、変に思われないんじゃないかな」を基準に発言するようになって、いつの間にか自分がいなくなっていた。

    そして、あんなに好きだった自分を表現する活動が、嫌いになっていった。

    だって、何も言わなければ、表現しなければ、誰にも何も思われないですむから。

    いつの間にか、好きだったことが、自分の価値を測るためだけのものになり、同じようなモノサシで人を測るようになっていた。




    クソじゃん!!!!何だそれ!!!!!!って、ようやく思えるようになってきたのでした。


    自分は自分、人は人だ。ありきたりだけど、そうなんだよ。そうじゃん!!!
    絶対無理じゃん。エスパーじゃないじゃん。人の気持ちなんてわかるわけないだろ!
    感情はわかる、喜怒哀楽。でも、どんなことで喜怒哀楽が生まれるかなんて、人それぞれだろ!それなのに、私に向かって「人の気持ちがわからない人」って言ってきたアイツ。
    いやマジで、なのにさ、平気で「私の気持ちわかってくれないんだね」とか言ってきたアイツ。
    「弱い自分」で他者に罪悪感を与えてコントロールしてズカズカと入り込んできたアイツ、許さん。
    私は悪意を持って人に接したことがなかったし、嫌味とか「察してよ」っていう感覚がわからないから、残念ながらアイツの「察して」も「私はこんなに弱いんだから優しくしてよ」にも一切気付かなかったし、「弱い=かわいそう」って図式も持ち合わせていなかったから残念でした!でも、SNSでひどいこと言ってきたことや軽く暴力されたことは忘れないし許さん!!!!


    人と人とは分かり合えないから、言葉がいるけど、その言葉でさえ嫌味の場合や「察して」を隠している場合がある、でもそんなこといちいち考えてたらキリがないし、自分の頭の中であれやこれやと想像してみても、本人に聞かないとわからない。
    怖くても勇気を出して、人と向き合うことをしていくしかないんだ。
    一度吐いた言葉は戻らない。だから、言葉を伝える前に、考えなきゃ。
    その言葉は、過不足なく自分の気持ちを表現できてるか、できていなくても、限りなく近いのか。
    自分の気持ちを偽って相手に伝えたら、(例えばそれは自分のプライドや恐怖心が勝る場合が多いのだけど)もっと話がこじれるから、やっぱり最初から自分の気持ちを伝えるのがいいんだ。伝えるということは、その結果、関係が拗れてしまうということも背負う覚悟で言うんだ。そのくらい、覚悟がいるんだ。なのに、平気で本心とは違うことを言って、人を傷つける人がいて、はあ、なんだそれ。

    最近、また自分の感情に自信を持てるようになってきて、自分を表現できるようになってきた。
    心が健やかだった頃、私は本気の趣味で歌を作っていたのですが、自分の感情を否定するようになってから、全く歌詞もメロディーも浮かばなくなって、曲を作ることができなくなっていた、っていうことに今気が付いた。
    さっき、曲や歌詞がなんとなく口ずさめるようになっていて、「自分の気持ちを認められてきたからかもな」って気が付いた。わお。
    とても、良い傾向だ。このブログで、自分を表現するんだって決めたんだ。

    今日はこれで終わり!!!

  • 2年ぶりに病院の予約した

    2年ぶりに病院の予約した

    今日は頑張って住居確保の記事書けた。
    私も申請する前に、ネットで調べたりしたけど、どれも説明ばかりで実際に貰った人の記事がないなあ、実際に貰った人の話が聞きたいのになって思っていたので、
    同じような人の役に立てればいいな。。。

    5月から働き始めました。事務の仕事。でも、受電メイン。
    過去に二年間、某大手のカード会社で受電を派遣でやっていました。
    いつか書きたいんだけど、ADHDは電話の仕事向いていないって人ももちろんいると思うけど、私はそうじゃなくて、わりかし向いているのかなって思った。
    でもこれは環境が大きかったなって思う。長くなるのでまた別で書く。

    そう、事務仕事。前の仕事はストラテラなしでも出来てたけど(自分のペースで仕事を進められた。でも覚えるまでは服用してた)今回は受電メインだし、ストラテラあったほうがいいかなと思って、病院へ行かなきゃ、と。

    これを機に、近場の病院に変えようと思う。
    前に行っていたところは電車で1時間半かかった。
    診断書貰ってないけど、いいかなあ。
    料金が高くなければウェクスラー受けたい。昔にも受けたけど。。。
    ちゃんと診断結果聞けばよかった。何が自分は苦手何だろう。。。

    ストラテラは、量を増やすとまじで事務処理能力上がるけど、感情が死んでしまうので、コンサータを試してみたい気もする。

    ADHDの診断を受けて6年目。それまで本当に健やかなメンタルで生活出来ていたのだけど、診断を受けてから自分を責めに責めて、本当に生きづらくなってしまった。
    今年はそんな自分と決別したいところだ。ADHDを理由にして逃げたくないんだ。
    (他のADHDの方々が逃げてるとかそういうことは思ってません、私の場合)あんなに人が好きだったのに、今は自分のボロを隠すので疲れるから仲の良い人としか会いたくない。

    5月に入ってから、日記というか、自分の感情をノートに書いている。思い返せば、私は中学生から大学生までよく日記を書いていた。日記を書いていたおかげで自分と向き合えていて、自分の感情を認めてあげられていて、健やかなメンタルを持てていたのかもなと思い、また書いてみた。結構いい感じです。

    なんかねえ、今日思ったんだけれど。私昔から「単純だね」って言われることがあって、それがすごく嫌で。確かに、やりたいことやってきて、周りから見たら感情的に?というか、感情に素直に動いているように見えるんだろうなって思うけど、まじですっごく考えて考えた結果、「自分に正直に生きることが後悔が少ない」ということに気付いて、そういう生き方を採用しているのですが、それがただ「単純」って思われるのがアホっぽかったりバカにみられるのが嫌なんだなって思った。でも、それも何だか見栄っぱりなだけなんじゃないかなあ。そういうのって、本当に邪魔だ。何だそのプライド。あとあれだ、顔に出るんだわ。職場の人に「noromaさん、顔にめっちゃ出てますよ!」って言われて驚いたことがある。出してないつもりだった。
    でも実際さ、喧嘩とかしてても、私の好物の食べ物とか持ってこられたら「許す!」ってなるんだろうな。もっとミステリアスな人間になりたいのに。

    とまあ、単純でわかりやすい人間だということを受け入れたほうがいいのだろうけど、嫌だなあ。でも、これが私なんだもんな。。。

    初めて行く病院。また行ったら報告します。保険証貰えたからやっといける!