『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門(著:梶谷 真司)』レビュー

どんな本??

著者紹介

梶谷 真司 かじたに しんじ
1966年、名古屋市生まれ。89年、京都大学文学部哲学科宗教学卒業。
94年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。
97年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、京都大学博士(人間・環境学)。
現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『シュミッツ現象学の根本問題』(京都大学学術出版会)がある。

内容紹介

日本での教育、社会では、「考えること」について教えてくれず、
それよりかは「いかに期待された答えを出すか」が大切とされている。

それは、親、先生、上司が期待する答えをいかに導き出すかということ。
そのような社会の中では、自分が本当に思ったことを言うことはできない。
否定されるんじゃないか、みっともない思いをするんじゃないか。
そうして自分を抑圧している。

その中で筆者は、「哲学対話」を通して、
自分が他者に自分の考えを『否定せず聞いてくれる場に於いて』語ること、
また、自分とは違う立場で違う考えを持った他者の考えを聞くことにより、
人は自由になる、自らを解き放つことができると言っている。

そしてそれは、自分1人ではできず、他者がいるからできることであり、
ただ哲学的な知識をインプットすることではなく、体験するこどが大事だと。
(ただし、思考を広げるためには知識も必要)
考えることで、自由になれる。

以下、印象的だった箇所を本文より引用します。
『考えることは、誰のためでもなく自分のため。どんなにつたなくても、自分でつまづいて自分で考えたことしか、その人のものにはならない。

読んだ感想

考えたこと

私たちは「こうあることが正しい」「こうあることが、理想的だ」など
いつのまにか、そんなしがらみの中で生きている。

幸いにも、私が通っていた高校では「世間に惑わされず、主体性を持ち自分で考えること」
を校訓にかかげていたため、当時から「自分で考え行動すること、そしてその責任は全て自分にある」
と教えられながら過ごしていた。

その教えは、校風にも勿論生きていた。 そんな母校には感謝しているし、大好きな場所だ。
そこで私は、自由と責任ということを学んだ。

そうであってもやはり、この社会で生きる限り、理想をよしとすること、正しいと言われていることがよいこと、そんな枠組みに囚われて生きている

日々の生活の中で、なんだか少し息苦しさを感じる時もある。
自分らしくあること、そしてそれと同じように、他者も他者らしくあること
その多様性の中で生きていて、絶対的な正しさなんてないということ。
わかってはいても、なんだか息苦しい。
そんな時に、哲学対話を行うことで、自分が解き放たれる。。。
哲学対話、興味湧いてきませんか?!

この本はとてもわかりやすく書いています。 冒頭にもあるように、誰が読んでもわかる言葉だし、読者が筆者が伝えたい意味とは違う解釈をしないように説明もしてくれていて、とても良い文章だなぁ、と思いました。


思ったこと

私はここ数年、ADHDをきっかけに、自分の考えは間違っているんだ、、
と思い過ごしてきました。

世の中にある正しさ、普通というものを意識するようになったことをきっかけに、
自分が苦しくなったり、悲しくなったり、傷付くくらいなら、
他者を排除して、できるだけ自分の殻にこもろう!と思い、
仲良い人以外との交流をしていませんでした。
(ちなみに、元々は色んな人と関わることがとても好きな人間でした。)

そんな自分から解き放たれたい!!と思い、
哲学対話を行なっているカフェやイベントを調べ、
近場にあったので今度行こうと思っています。

今年の目標は、不自由な自分からの脱却!!もっともっと、人と関わっていきたい。
自分のちっぽけなプライドのせいで、傷付くことを恐れている。
そんな自分とサヨナラしたいーーーー!!!

前回レビューしたこちらの本でも同様に、経験を大事にしていますね。
頭でグルグル考えることも大事だけれど、
実際に経験し行動し、主体的に関わっていくことが大切なんですよね。

本当に読みやすいしわかりやすい本なので、興味ある方は是非読んでみてください!


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