カテゴリー: 自分と繋がるまでの記録

内向型でINFPの私が自分の内面と向き合う時のあれこれ

  • 2年ぶりに病院行ってストラテラ処方してもらった

    2年ぶりに病院行ってストラテラ処方してもらった

    前の仕事は薬なくてもいけたから辞めてたけど復活させた

    2018年から2年弱働いていた職場では、途中までストラテラを20mg服薬してました。
    仕事自体が、スピードを求められずコツコツ自分のペースで行える事務職だったため、
    仕事を1人で行えるようになってきた頃に「ナシでもいけるんじゃね」と薬を辞めました。

    薬を辞めても、仕事に支障はありませんでした。
    上司からは特に監視されていなかったし、ミスをしても自分が頑張れば問題なかったし。
    そして、ここの職場の前に働いていたコールセンターで、「自分がミスしやすそうなこと」が把握ができていたので、そこを気をつけるようにしたり。

    つい最近まで無職でしたが、最近から働き始めました。
    受電メインのお仕事で、前の職場よりも事務処理能力が求められる・・・
    仕事を覚えるまで、そしてどこでミスをしやすいかわかるまで、ひとまずまたストラテた飲み始めねば・・・と思い病院へ行くことに。

    実は、通院していた病院があったんだけれど、家から1時間半かかる。
    毎回、薬を貰うためだけに通院していたので、これを期に病院変えるか。と思って、
    家の近くのメンタルクリニックへ。

    勿論、紹介状なんて持っておらず。
    「紹介状ないと診てもらえないのかなあ」と心配しつつ、「まあ、いっか!」ということで行きました!!!

    コンサータも飲んでみたかったけど・・・

    前回、ストラテラを飲んでた時。効果はあれど、まあ感情が死ぬwwww
    夕焼け空を見て、「なんて綺麗なんだ・・・!」と思えていた感受性がなくなり、
    ご飯食べても美味しくないし、ライブに行っても心に響かない。
    ということになったので、ストラテラじゃなくてコンサータ(覚醒系)処方してもらおうと思っていた。

    ・・・が。
    コンサータを処方するには、先生自身と患者が何かに登録する必要があり(事情はよくわからん)、
    また、過去の患者がどんな様子だったかなどを客観的に報告する必要があると。
    客観的なデータとしてなら、過去に受けていたウェクスラーの検査結果があればと思ったけど、
    手元に結果がないし受けた病院は地元だから用意もできず。
    そんな事情があり、処方はすぐにできないと。
    先生、ちょっとめんどくさそうにしてたwwww
    「ストラテラが効いてるならいいんじゃないか?」って話になって、
    感情が死ぬって話もしたけど、まあとりあえずいいか、、、今飲んだら感情死なないかもだし、と思い、とりあえず処方してもらった。
    あと、コンサータはストラテラより高いらしい。

    あ〜〜〜コンサータ試してみたかったな!!!!!

    覚醒系だから、処方も慎重に行わないといけないんだって。

    ウェクスラーも心理士さんがいないと受けられないから、ここのクリニックでは受けられないって。
    私が通ってた地元の病院には心理士さんがいて、割とすぐに受けられてて、ラッキーだったんだなって思った。

    いつの間にか、ジェネリック出てた

    ストラテラ、いつの間にやらジェネリックが出ていて、前よりも安く済んでラッキー。
    それでも3割負担が続くのはキツイので、自立支援の申し込みをしようと思う。
    前回のものは勿論有効期限切れしてるから、また新規で申し込み。
    診断書貰うのに5000円くらいかかる(´;ω;`)
    でも1割負担には代えられぬ。市役所へ行かねば。

    左がジェネリック!

    感情死に出したら減らす

    20mg飲んでみます。感情が死にだしたら10mg…でも効果ないんだよね10mgは少ない・・・。
    コンサータ試してみたかったな〜〜〜〜


    以上!終わり。

  • 自分を表現することが嫌いになった

    自分を表現することが嫌いになった

    私は診断を受けるまで、本当に自尊心が高かった。いい意味で。
    小さい頃から、絵を描くこと、歌を歌うこと、自分を表現することが好きだった。
    高校生になっても、大学生になっても変わらなかった。

    自分の感じること、考えることを信じられていた。
    自他の区別をはっきりと付けることができていた。これがすごく大きいことだと思う。
    「私はこういう感じ方、考え方だけど、それはもちろん私以外の人はそうじゃない。だから、私が感じること、私の考えが私にとっては正解で、それは他者にも当てはまるんだよなあ。」
    と考えていたから、他人の目が今ほど気にならなかったのです。

    診断を受けてから、「私の感じ方、考えは普通じゃないんだ、そうなんだ、普通じゃないんだ、普通になりたい、普通でいないとダメ人間なんだ」と無意識に思うようになりました。

    大学在学中にも、他の人と感じ方や考え方が違うのかもな、と思うことはあっても、それが普通じゃないとか変なんて思ったことなかった。私は私だけで、私の感情と思考が私の世界の全てじゃん、そしてそれは他者にも当てはまるから、私の感情と思考が大切なように、他者の感情と思考も尊重するものなんだなあ、って。

    診断を受けて、「普通」に固執するようになった。自分が、よりも、人にどう思われるかを気にして、「こう言ったら嫌われないぞ、変に思われないんじゃないかな」を基準に発言するようになって、いつの間にか自分がいなくなっていた。

    そして、あんなに好きだった自分を表現する活動が、嫌いになっていった。

    だって、何も言わなければ、表現しなければ、誰にも何も思われないですむから。

    いつの間にか、好きだったことが、自分の価値を測るためだけのものになり、同じようなモノサシで人を測るようになっていた。




    クソじゃん!!!!何だそれ!!!!!!って、ようやく思えるようになってきたのでした。


    自分は自分、人は人だ。ありきたりだけど、そうなんだよ。そうじゃん!!!
    絶対無理じゃん。エスパーじゃないじゃん。人の気持ちなんてわかるわけないだろ!
    感情はわかる、喜怒哀楽。でも、どんなことで喜怒哀楽が生まれるかなんて、人それぞれだろ!それなのに、私に向かって「人の気持ちがわからない人」って言ってきたアイツ。
    いやマジで、なのにさ、平気で「私の気持ちわかってくれないんだね」とか言ってきたアイツ。
    「弱い自分」で他者に罪悪感を与えてコントロールしてズカズカと入り込んできたアイツ、許さん。
    私は悪意を持って人に接したことがなかったし、嫌味とか「察してよ」っていう感覚がわからないから、残念ながらアイツの「察して」も「私はこんなに弱いんだから優しくしてよ」にも一切気付かなかったし、「弱い=かわいそう」って図式も持ち合わせていなかったから残念でした!でも、SNSでひどいこと言ってきたことや軽く暴力されたことは忘れないし許さん!!!!


    人と人とは分かり合えないから、言葉がいるけど、その言葉でさえ嫌味の場合や「察して」を隠している場合がある、でもそんなこといちいち考えてたらキリがないし、自分の頭の中であれやこれやと想像してみても、本人に聞かないとわからない。
    怖くても勇気を出して、人と向き合うことをしていくしかないんだ。
    一度吐いた言葉は戻らない。だから、言葉を伝える前に、考えなきゃ。
    その言葉は、過不足なく自分の気持ちを表現できてるか、できていなくても、限りなく近いのか。
    自分の気持ちを偽って相手に伝えたら、(例えばそれは自分のプライドや恐怖心が勝る場合が多いのだけど)もっと話がこじれるから、やっぱり最初から自分の気持ちを伝えるのがいいんだ。伝えるということは、その結果、関係が拗れてしまうということも背負う覚悟で言うんだ。そのくらい、覚悟がいるんだ。なのに、平気で本心とは違うことを言って、人を傷つける人がいて、はあ、なんだそれ。

    最近、また自分の感情に自信を持てるようになってきて、自分を表現できるようになってきた。
    心が健やかだった頃、私は本気の趣味で歌を作っていたのですが、自分の感情を否定するようになってから、全く歌詞もメロディーも浮かばなくなって、曲を作ることができなくなっていた、っていうことに今気が付いた。
    さっき、曲や歌詞がなんとなく口ずさめるようになっていて、「自分の気持ちを認められてきたからかもな」って気が付いた。わお。
    とても、良い傾向だ。このブログで、自分を表現するんだって決めたんだ。

    今日はこれで終わり!!!

  • 2年ぶりに病院の予約した

    2年ぶりに病院の予約した

    今日は頑張って住居確保の記事書けた。
    私も申請する前に、ネットで調べたりしたけど、どれも説明ばかりで実際に貰った人の記事がないなあ、実際に貰った人の話が聞きたいのになって思っていたので、
    同じような人の役に立てればいいな。。。

    5月から働き始めました。事務の仕事。でも、受電メイン。
    過去に二年間、某大手のカード会社で受電を派遣でやっていました。
    いつか書きたいんだけど、ADHDは電話の仕事向いていないって人ももちろんいると思うけど、私はそうじゃなくて、わりかし向いているのかなって思った。
    でもこれは環境が大きかったなって思う。長くなるのでまた別で書く。

    そう、事務仕事。前の仕事はストラテラなしでも出来てたけど(自分のペースで仕事を進められた。でも覚えるまでは服用してた)今回は受電メインだし、ストラテラあったほうがいいかなと思って、病院へ行かなきゃ、と。

    これを機に、近場の病院に変えようと思う。
    前に行っていたところは電車で1時間半かかった。
    診断書貰ってないけど、いいかなあ。
    料金が高くなければウェクスラー受けたい。昔にも受けたけど。。。
    ちゃんと診断結果聞けばよかった。何が自分は苦手何だろう。。。

    ストラテラは、量を増やすとまじで事務処理能力上がるけど、感情が死んでしまうので、コンサータを試してみたい気もする。

    ADHDの診断を受けて6年目。それまで本当に健やかなメンタルで生活出来ていたのだけど、診断を受けてから自分を責めに責めて、本当に生きづらくなってしまった。
    今年はそんな自分と決別したいところだ。ADHDを理由にして逃げたくないんだ。
    (他のADHDの方々が逃げてるとかそういうことは思ってません、私の場合)あんなに人が好きだったのに、今は自分のボロを隠すので疲れるから仲の良い人としか会いたくない。

    5月に入ってから、日記というか、自分の感情をノートに書いている。思い返せば、私は中学生から大学生までよく日記を書いていた。日記を書いていたおかげで自分と向き合えていて、自分の感情を認めてあげられていて、健やかなメンタルを持てていたのかもなと思い、また書いてみた。結構いい感じです。

    なんかねえ、今日思ったんだけれど。私昔から「単純だね」って言われることがあって、それがすごく嫌で。確かに、やりたいことやってきて、周りから見たら感情的に?というか、感情に素直に動いているように見えるんだろうなって思うけど、まじですっごく考えて考えた結果、「自分に正直に生きることが後悔が少ない」ということに気付いて、そういう生き方を採用しているのですが、それがただ「単純」って思われるのがアホっぽかったりバカにみられるのが嫌なんだなって思った。でも、それも何だか見栄っぱりなだけなんじゃないかなあ。そういうのって、本当に邪魔だ。何だそのプライド。あとあれだ、顔に出るんだわ。職場の人に「noromaさん、顔にめっちゃ出てますよ!」って言われて驚いたことがある。出してないつもりだった。
    でも実際さ、喧嘩とかしてても、私の好物の食べ物とか持ってこられたら「許す!」ってなるんだろうな。もっとミステリアスな人間になりたいのに。

    とまあ、単純でわかりやすい人間だということを受け入れたほうがいいのだろうけど、嫌だなあ。でも、これが私なんだもんな。。。

    初めて行く病院。また行ったら報告します。保険証貰えたからやっといける!

  • 高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話②高校生編

    高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話②高校生編

    「高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話」第二弾です!
    前回の記事はこちら。

    https://noromalife.com/%e9%ab%98%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%82%af%e5%ae%9a%e6%84%9f%e3%81%8cadhd%e3%81%ae%e8%a8%ba%e6%96%ad%e3%82%92%e5%8f%97%e3%81%91%e3%81%a6%e4%bd%8e%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3

    高校の新しい環境に慣れない、辛い。

    中学校は小学校からの持ち上がりで、人見知りなんて知らず。
    みんなのこと知ってるからね。
    県内の進学校へ進学したけれど、友達の作り方がわからず。
    自分の前に座っていた超可愛い女の子に驚いた記憶がある。
    夏休みに入る前、一学期は友人たちと打ち解けられず、
    なんというか、「素の自分」、「自然体の自分」でいられず、うまく話せなくてすごく辛かった。
    中学の親友たちはみんな、新しい環境にも慣れて友達もできていて、
    余計に辛く感じた。。。。
    「自分ってこんなに話せない人だったの?」と思った。
    でも夏休みに入る頃にはいつのまにやら慣れて話せるようになっていた。

    変人が多く居心地最高の高校生活

    慣れるまで半年かかったものの、慣れてからは最高に居心地のよい高校生活が待っていた。
    高校には、個性の強い人がたくさんいた。
    個性が強くて浮いてしまいそうな人でも、全く浮かない、というか、
    いい意味でみんな他人への興味のなさがあったと思うし、
    個性的な人を変な人と煙たがるような風潮が皆無だった。
    みんなそれぞれが好きなことをしていた。
    昼休みにコアなアニソンが流れていても、誰も批判しなかった。
    中学にあった女子の派閥のようなものもなかったし、
    中学にあったいじめのようなものも一切なかった。
    他のクラスは知らないけど、男女のあれやこれやもなかった(これは欲しかったけどね)。
    みんながみんなの個性を否定することなく受け入れ合うという、最高の環境でのびのびと毎日笑って生活することができていた。自分が「普通じゃない」なんて、1ミリも思っていなかった。

    自分で考えることの大切さを学ぶ=自己肯定感に繋がる

    校則がなくのびのび

    私の通っていた高校があった学区内では私服高校が多くあり、私の母校も私服高校だった。
    他校には珍しく、校則がなかったし、本当に自由な環境だった。
    一般的な高校では校則がありそうなもので挙げるならば、

    • 金髪にしてもいい
    • メイクしてもいい
    • 指定ジャージ、指定の上履きがない
    • バイトしてもいい(許可不要)

    などなど。というかそもそもの校則がなかったので気にしたこともなかった。だから自分の好きなファッション、好きなメイク、好きな髪型で過ごすことができたのもあって、本当にみんな伸び伸びとしていた。

    だからといって荒れるということもなかった。
    授業中の私語は全くないし(本当に静か)勉強に励みたい人の邪魔になる人もいなかった。

    入学式で先生に言われたこと

    入学して担任の先生に言われたことをよく覚えている。
    「ここは高校だけど大学っぽいところだから、基本的には掲示板を見てテスト範囲諸々等を確認すること。先生からは何も言わないよ。もしそれで情報を見逃したりしても、自己責任です。この高校は自由だけど、その分全て自分の責任だよ」
    という旨を言われて、中学を卒業したばかりの私は
    「なんか怖い。。。」と思った。
    それまで先生があれやこれや手取り足取りアナウンスして管理してくれていた中学とは違う。自己責任。
    自分で考えて行動することの大事さをここで学んだ。

    自己責任だから、自分が何を求めているのか、何がしたいのかを自分とたくさん向き合って後悔のないようにしようと思いました。

    自分の気持ちと向き合うこと、自分を大切にすること、自己肯定感へ。

    恋愛や、勉強、それなりに辛いと思う出来事ももちろんあって。その時に意識していたことは、「後悔したくないから、ひたすら自分と向き合うことが大事で、他人は自分の人生の代わりなれない。」ということだった。何が後悔に繋がるか、と考えた時に、私は「自分と向き合わずに他社へ自分の人生の決定権を委ねてしまうこと」だと考えていた。自分の決断に自分で責任を負えないことは、何よりも悔しい、後悔に繋がると思っていた。
    「自分が何を考えていて、どうしたいのか。」向き合う時にいつも出てくるのは「弱くてコンプレックスがある自分」で。
    だから自分と向き合う時間は辛いのだけれど、でもここで逃げいていてもいずれまた同じ問題に向き合う時が来てしまう。
    そう考えて、私は何か問題が起きた時には自分と向き合うようにしていた。そして捻り出した答えを元に行動したり、しなかったり。
    それはつまり、「自分の考えや感覚、感情を信じて、受け入れ、自分のために行動すること」だった。
    信じて、というか、受け入れるという言葉の方が近いかもしれない。
    このことが、自分を認める=自己肯定感の高さへ繋がっていったんだと思う。自分の良い部分も悪い部分も、カッコ悪い自分、汚い自分、ドロドロした自分、そんな自分も自分で、恥ずかしいことじゃないんだって。

    高校生編まとめ

    個性を認めてくれる穏やかな環境で、伸び伸びと、それはもう自分のやりたいことを伸び伸びとできた環境で、自分と向き合うことで自己肯定感が高く安定していた高校生時代を過ごしていました。
    (ここでは割愛しますが、もちろんメンヘラな時もありました。特に恋愛において笑)
    その高い自己肯定感を持ったまま、大学へと進学しますが…。

    次回はADHD診断が下った『大学生編』をお送りします!
    ここまで読んでくださり、ありがとうございました( ^ω^ )!

  • ADHDをカミングアウトしたほうがいいの?

    ADHDをカミングアウトしたほうがいいの?

    カミングアウトへ至る経緯

    2020年より転職しました。この件についてはまた後日詳しく書きたいのですが。。。
    正直、ADHDの私が来てはいけない職種の職場へ入りこんでしまったとすぐにわかりました。
    職場で働いている時間は常に自分の苦手なことを意識する必要があるし、慣れない場所での慣れない人間関係。
    前職ではそんなこと思わず仕事ができていたのに。。。
    食欲もなくなり、仕事へ行くことが苦痛で胃が痛くなり。
    そんな状況を、親友に話していた時。
    「私にはこんな特性があって、そこが今の職場と相性が悪くて、すごく辛い」ということを聞いて欲しい、と思いました。
    また、前から「親友には私のこと知って欲しい」と思っていました。「このタイミングで言うぞ…!」と、カミングアウトをする決意をしたのです。

    カミングアウト怖すぎるよね!?

    カミングアウトが怖くない人もいるのかもしれない。
    でも私はめちゃくちゃ怖かった
    2015年に診断されてから、自分を責めまくっていた。
    「友達と喧嘩したことも、好きな人にフラれたことも、今までの人間関係でうまくいかなかったこと全部自分のせいだったんだ。」
    「苦手なことある自覚はあったけど、それは脳の特性のせいで、普通の人より劣っているんだ」
    「自分はダメな人間なんだ。普通じゃないんだ。普通でいないと嫌われる、普通でいなきゃ、普通でいなきゃ。。。」

    診断される前は自己肯定感が高かったのにね。
    診断されてから「普通であること」にこだわり続けていた。
    普通であろうとする度に、どんどん自分は消えていった。

    「ADHDであることをカミングアウトする」ということは、
    「自分は普通ではない」ことを表現することになる。
    それはこれまでこだわり続けていた、自分がそうあろうとしていた「普通であること」を放棄すること。
    そして、「ADHDの特性があること」を受けいれなくてはならないということになる。

    自分のコンプレックスを認められる強さが私にはまだなくて。
    でも、もういい加減に「変わりたい、ADHDの自分を認めたい」と思うようになった。

    でもさ、やっぱり怖いの!!

    受け入れられなかったら??そんなの誰にでもあるでしょって話聞いてもらえなかったら??自分のダメなところ、言えないよ。。。怖い怖い、でも変わりたい(´;ω;`)と思ったから、勇気を出そうと思った。

    いざ、カミングアウト!

    大学からの親友へ、いざ、伝えるぞ。某チェーン店のレストランで向かい合う2人。伝えるのがやっぱり怖くなって、トイレに立つ。「ああああ怖いよおおおおお(´;ω;`)でも言わなきゃ、言いたい…!」トイレから戻り、席に座る。もじもじしつつ、口に出す。

    あのね、ちよっと重いかもしれないんだけど話したいことがあって…

    え、なになに??全然いいよ!

    (目に涙を溜めながら)私、病院で検査も受けて、発達障害の傾向があるって言われて、
    病院に通ったり、薬を飲んだしてたの。だから、空気読めなかったり、苦手なことがあって、努力でどうにかできなかったり、(グズグズ)

    うん??それ前に聞いたよ!!!笑

    え???!!!言ってたっけ!!!???病院で検査受けたことも??

    うん、聞いたよ!!笑

    そうなのです。なんと、私はすでにカミングアウトをしていたらしいのです。
    しかし、なんということでしょう、そんな大事なことをすっかり忘れていたいのです!!!
    本当に記憶がなかった。。。

    カミングアウトした後の気持ち

    友人は、既に知っていたけれど、態度を変えずに接してくれていた。
    私は私でいいんだ。と思った。苦手なことがあるけど、でも私は私でしか考えられないし、
    判断できないし、感じることはできない。

    ここで私は、思いました。
    「自分だけがこんなに気にしていたのって、ちょっとばかみたいだ。」

    周りの目を気にしていた。でも、何より自分が一番自分にレッテルを貼って、
    「自分はADHDだからダメ人間だ」「自分は何もできない、失敗だらけだ」
    と勝手に思い込んでいたんだ、誰よりも自分が。自分の可能性を全部捨てていたんだ。

    この一件で、気持ちは軽くなったけれど、それでもこのレッテルはどんな環境に自分が身を置くかで大きく変わってくる。
    なので本当に、自分に合った仕事、職場を見極めないと、苦しくなる人が多いんだと思います。

    自分が大事だと思う人に伝えて、受け入れられたことで、私は「自分は存在していてもいいんだ」と、大げさではありますが思えました。

    結論:大切な人に、カミングアウトしてもいい。

    一般的にはまだまだADHDについて知られていない状況。
    大切な人がから、自分のことを知ってほしい。これは誰もが思うことだと思います。
    もちろん、勇気がいること。自分を曝け出すのですから。
    カミングアウトすることで、自分のことを受け入れられるきっかけにもなります。
    もし、カミングアウトしたことで、悲しい結果になってしまったとしても、
    「カミングアウトできた」という行動をしたこと自体が、自分を大事にできたぞ!と思える大事な一歩だと思います。
    特に自尊心が下がり、周りの目を気にしてしまいがちな私たちにとっては、それがどれだけ大きな一歩か。

    カミングアウトしたからといって、すべてが好転するわけではありません。
    今もまだ、私は自分のことを「ダメなやつ」だって思ってしまいます。
    でも、少しずつ。自分を大事にすることを積み重ねて、自分のことを大事にできるように、一歩一歩歩んでいきたいです。

  • 高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話①幼少期から中学生編

    高かった自己肯定感がADHDの診断を受けて低くなった話①幼少期から中学生編

    ADHDシリーズを始めます!
    幼少期から中学生までのことを書いていきます。

    幼少期

    保育園生のわたしの記憶。朝起きるのが辛かった。母が面倒を見てくれていたから、遅刻することはなく。
    多動はあまりなかったと思う。
    絵を描くことと歌うことが大好きだったし、よく笑って過ごしていた。
    友人は多かったのかな、一人浮いているといことはなく、仲良し3人組の友達とよく遊んでいた。
    保育園生の時なんてみんなおっちょこちょいだろうけども、覚えているやらかしたエピソードは。。。
    当時は団地に住んでいて、狭い部屋だった。トイレの扉近くに石油ストーブが置いてあった。
    トイレからでる際、おしりを丸出しで出てきたわたし。
    ふと振り返ると、おしりが石油ストーブに当たり、火傷をした。
    こんな記憶しかない。

    小学生

    保育園の時のように、全て母がやってくれるのではなくなり、自分で管理をしていく必要が出てくる時期。
    小学校で仲良くなった近所に住む女の子と「毎朝一緒に学校へ行こうね」と約束した。
    わたしの家のほうが彼女より学校に近かったため、彼女がうちまで来てピンポンを鳴らし、一緒に行くことになっていた。けれども。
    よく時間ギリギリになり、というか時間を過ぎることが多かった。(あすかちゃんごめん)
    小学校では友達がたくさんできた。団地に住むたくさんの小学生とも遊んでいた。明るい子供だったな〜〜〜。

    この時のADHDあるあるは、

    • プリントを溜めてギリギリになってお母さんに渡して怒られる
    • 遠足などで作ってもらったお弁当を溜める
    • 夏休みの宿題はもちろんギリギリまで
    • 自宅の勉強机の上が冗談抜きで物が大量に積み上がっていて勉強スペースなんてない
    • カバンの中に潰れたおにぎりが入っている

    でした。お母さんからよく叱られてた。なんでいつもギリギリなの!!!もっと早く言わないとだめでしょ!とか。
    他にもいろいろあったはずなんだけれども、覚えていないので割愛します!!

    わたしは転校を2回しました。2年生の冬、3年生の秋。
    3年生の秋から通うことになった小学校での4年生から、強制的にガチなドッチボールをやるはめになった。
    これが本当に苦痛だったのです。。。痛いし、勝ち負けに全く興味がないので、勝ちたい気持ちがない。(致命的ですね)
    そして運動が得意でもなければ好きでもなかったし、顔面にボールが直撃したりして辛かった。
    わたしの両親はスポーツ経験者だったし姉(2個上の姉がいます)が運動神経がとても良かったので(姉はずっとバスケをやっていました)
    なかなか辞めたいとも言えないし、クラスのみんながやっていたからそもそも辞められるものでもないと思っていた。
    本当に大嫌いだったなドッジボール。。。人に向けてボールを当てるという発想がもう怖くないですか???!

    ということで小学生編はここまで(^∇^)

    中学生編

    部活

    中学生になりまず選択を迫られるのは、「どの部活に所属するか」ということ。
    前述したとおり私は運動が苦手だし自ら行うほど好きでもないので(姉が得意だったから少しはコンプレックスがあるかも)
    当時、絵を描くことが好きだったので、「美術部に入ろう」と思っていたけれど、

    • 当時、私以外に入部希望者が一人もいなかった
    • 美術の先生がみんなから嫌われていた先生だった
    • 父から「中学生のうちは運動部に入りなさい」と言われた(今になってこの話をすると父は「そんなこと言ったけ?」と。言いました笑)
    • 仲の良かった友人が入ると言ったから

    という理由で、ソフトテニス部へ入部しました。
    二年生が一人もおらず、三年生のみだったため、三年生が6月頃に引退した後は上下関係がなくなり、何も気にせずいられたのでとても気楽にできていました。
    部活でも顧問の先生は穏やかな人だったし、仲良しな友人もできてそれなりに楽しく部活動をしていました。
    3年経ってもバックハンドが一向にうまくならなかったな。。。笑

    勉強

    小学生の頃はそこまで勉強に力を入れていなかったけど、なぜか中学生になり勉強を頑張るようになった。中学生に入り、進研ゼミを始めた。
    ずっとやりたくて親に頼んでは「必要ない!」と言われてたけど、中学生に上がりやらせてもらえるようになった。
    その結果、勉強に精を出すようになり、最初のテストで450点(平均点90以上)を超えた。
    一度450を取ると、そのあとも450以上を目指すようになった。
    ちなみに、地頭がいいとかではなく、ひたすら隙間時間に進研ゼミの暗記集で暗記をしたり、
    テスト前は学校の空き時間も勉強していたり、ガリ勉、努力の賜物だった。
    課外研修でクラスのみんなで電車に乗っていた時も勉強したた(笑)
    好きとかではなく、使命感?からやっていた。
    450以上を取れたら、親が漫画を買ってくれたので頑張れていたのもあったかもしれない、といか大いにある。(漫画大好きなので)
    わからないことがあるのが嫌だったのもあって、何度も復習したりして。
    ある地方県内で1、2を争う進学校へ無事進学できた。

    友人

    当時、今に較べてフレンドリーだった、気がする。私が通っていた中学はほぼ通ってた小学校からの持ち上がりだったし、町内のもう一つの小学校と合併するだけだったので、環境の変化にそこまで戸惑うことはなかった。
    自然と友人はできていき、親友もできた。今は人と話す時に何話そう、どうしよう。。。などと思うことが多いけれど、当時はそんなこと考えずに安心して話せていた。
    ちなみに、新しく仲良くなった友人からは、「入学式してすぐにnoromaって本読みながら爆笑してたよね」と言われたことがあります。
    全く記憶がないけど、変なやつだったなあ。
    中学生の頃は本当に楽しかった。友達とも喧嘩をしたこともあって、喧嘩をしても自分の気持ちを話してぶつかって仲直り。

    中学生だからもちろん女子グループ同士の争い?のようなものがあって。
    私のグループ(3人だけだけど)は特に争いもなく平和だったし、誰が誰のことを嫌いで、男女の恋愛が絡む人間関係とかもあったけれど、
    鈍感な私はそういう噂話や人間関係を察知せず、何も知らずのびのびと過ごしていた。
    あと、そんなに興味がなかったのかも。
    よくあったのは、後になってから噂話や人間関係の話を知ること。
    「え、知らないの!?」とよく言われることがあった。鈍感故の良いところはこういうところだなあと思います。

    いじられキャラ?友達付き合い

    多分、わたしはどちらかと言えばいじられキャラだったようにも思える。
    自分では特に面白いと思わなくても笑われたりすることもあったし、
    小さなドジをよくやらかしていたので。。。

    今までの話からもわかるように、わたしは友人に恵まれている。
    いじめられたり、嫌がらせをされたことはない。
    「なんかよそよそしいな?避けられているかな?怒らせたかな??」
    と感じて気まずくなることは勿論あって。でもそういう時は本人に聞かないと本人の気持ちがわからないし、
    自分の頭で想像してたって本人に聞いてみないとわからないし、
    ぐるぐる自分で考えるだけ損じゃね?って思っていたから、
    「怒らせたかな?」と思ったら友達に聞くようにしていた。
    そんで話て謝って仲直り、的な。
    お調子者なところもあって、友人をからかって怒られたこともあったし。笑

    中学生の頃、日記をよく付けていて。
    自分の気持ちを書いていた。
    その当時かんがえていたのは、物事は一つ一つ繋がっていて、無駄なことってないんだろうな。
    今わからなくても、後になってわかることもある。
    自分の気持ちと向き合うことから逃げなかったんだろうな。

    幼少期〜中学生編まとめ

    幼少期から中学生までは、特段そんなに悩んでいなかった。
    もちろん、忘れているだけで当時も当時でたくさん考えて悩むこともあったけれど、
    自分のことを「ダメ人間」と思うことはなかったし、
    いじめをされたこともなく友人たちに恵まれて生活をしていた。
    ボケていても、しっかり者の友人が助けてくれていた。

    ということで、次回は高校生編です!!!!!!

    ここまで読んでくださりありがとうございました(^∇^)!