カテゴリー: 自分と繋がるまでの記録

内向型でINFPの私が自分の内面と向き合う時のあれこれ

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/5/27

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/5/27

    ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。


    いつもパソコンから書いていましたが、スマホからもアプリですぐ書けるとわかったので書こうとと思う。
    ただ、いつもサムネに自分で撮った写真を選んでて、そこは外したくないけど写真のデータはパソコンにあるので、またあとでまとめて写真は設定しようと思います。


    街コンで知り合った人と会って来た

    先日街コンへ行った。たくさんの人と話せて、そこで自分は過去の自分みたく、自己肯定感が高い頃の自分みたく、人に興味を持って、かつ、人と怖がらずに、話をすることができて、本来の自分に少し戻れて来たのかな?と錯覚するほど。
    他人=自分を傷付ける存在という図式が無意識下に刷り込まれていたけど、それはどうやら違うらしい、と腑に落ちた。
    お話をした初対面の方々は、普通の人、だった。そうか、自分に敵対心を持ってると、自分が思い込んでいて、しかも無意識に。
    心が少し軽くなって、前みたく、もっと世界を広げていきたいと思えた。

    と、前置きが長くなったけれど。

    街コンで10分ほど話して楽しいと感じた人にご飯に誘われたので行ってきた。
    会って話すと、自分と合うか合わないかってわかるものなんだなぁ、と思った。
    もちろん、時間をかけてわかっていくこともあるけど、そうじゃない場合もあるんだってこと。
    正直、今日お会いした方は私とは合わない人だな、ということ。今までだと、「もしかしたら、何回か会えば合うのかも」とか、「そんなふうに勝手に合わないと決めつけるのはどうなんだ?間違えたらどうするの?」と、自分の感覚を疑ったり、信じられない気持ちがあった。ただ、今回は、はっきりと、「これ以上会っても交わることはない」と思った、というか、感じた。
    そして、自分は「間違えたくない、間違える=ダメ人間」という考えと、「正しいことは良い、間違えることはダメ。」という考えと、あとは奥底に、「ADHDの自分は普通じゃないから、考えや感覚は他の人と比べて間違ってる」「間違えると、ADHD=ダメ人間であることが証明されるから、ダメ人間ではいけない」と思っていることを改めて気付けた。
    ていうか、前にもその思考癖が良くないって思ってたのに。まだこんなにこびりついてるとは。

    自分のこの感覚、心は、正しいか間違ってるかじゃないんだよね。今は、そう感じてるってこと。後から、間違えたかもって後悔して、責任を自分で取るのが怖いんだ。


    ヤ◯ト、配達に来てないのに翌日不在票入れる問題

    これ、何回かあります。というか、最近は連続してあった。
    Amazonやネットで頼んだ物は、配達状況をわりと確認してて、昨日不在票は入ってなかったけど、ネットのデータ上は19時8分に配達に来ましたが不在のため持戻りってあって。いや、来てないやんけ!!!
    そしてさっき、家のドアにある郵便受けに
    昨日の日付の不在票がばっちり入ってた。
    これは再配達してないからまぁいいとして、再配達した時に待ってても来なくて、何回もポストに不在票ないか確認しても来なくて、後から不在票入れられたことがあって。
    その日は午前中にその荷物を受け取りたかったのに受け取れず、決めてた予定が狂って、めちゃくちゃ腹が立ったので、電話してクレーム…というか普通に状況説明してどういうことですか?って言った。
    その時は、チャイム鳴らしたけど聞こえてなかったんじゃないですか?ってのと、不在票はドアのポスト受けの中でひっかかってたんじゃないですか?って言われてさらに腹立った。そんなはずないわい!!!

    それから、今回の再配達指定ではない荷物(ただ、当日着にはなってたけど)が持戻りになってたけど実際は来てないし次の日に不在票入れられるっことがあって、
    その時、また電話しようかと思ったけど、やめた。
    怒るのって疲れるんですよね。でも、それを主張しないと自分を蔑ろにしてる気がして嫌だった。でも、怒ると疲れちゃう…。
    この時、「あ、私は今、怒ることもできるし、怒らないこともできるんだ」って、よく自己啓発本で言われてることが腑に落ちた。
    なんだろ、ここで「自分が大事に扱われなかった!ぞんざいにされた!」って思う時って、自分の価値が減るような感覚になって、自分の価値が減ると、生きていけない、存在できないような不安感に襲われるから、怒っていたけど。
    他人から、ましてや配達業者なんて他人もいいところ、そんな他人からぞんざいに扱われたとして、(しかも、相手は別に私をぞんざいに扱ってる意識もないだろうし。面倒だとか、配達が時間内に終わらなかったから行ったことにしとこ〜的な気持ちだろうし)
    自分の価値、自分の何かは減るのか?と考えたら、答えは「減らない」んですよね。
    この感覚は、私が自己肯定感高かった頃は当たり前に持てていたことを思い出した。
    他人からいじわるされた時や、嫌味を言われた時(ただ、嫌味については気付かないことが多い)、何か言われても平気だったのは、「他人が自分をどう思おうと、他人は私の全てをもちろん知らないし、私について悪く言ってきたとしても、私の本質は何も傷付かない」ってね、ほんっっきで思ってた。ちゃんと、腑に落ちてた。それがね、発達障害だって自分にレッテルを貼ると、一気に変わってしまうんだよね。

    よく、スピとかワンネスとかなんとかで言ってる意識的になれって、こういうことなんだなって思った。何か感情が揺れてる時、観察するってこういうことなんだ。

    ちなみに、明日再配達に来た時は、配達来てないのに持戻りになってて次の日に不在票が前日の日付で入れられてた件について、直接聞いてみようと思う!やっぱりちょっとむかつくわ!

  • 心の穴が埋まるまでの記録 〜自分への諦めと思い込み〜

    心の穴が埋まるまでの記録 〜自分への諦めと思い込み〜

    〜ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録〜

    わたしは、2020年の秋頃からジムへ通っている。
    ずっと万年ダイエッターなのです。
    体重は標準より軽め、体脂肪率が高く、いわゆる隠れ肥満。
    筋肉量が足りておらず、平熱も35度前半か半ばくらいで、自分でも「低すぎて大丈夫か?」と心配になる。
    ただ、全く変化がない。身体も、たいして変化がないし、むしろ昨年10月の暗黒期の時は自炊に手が回らず、あすけんでの記録もやめ、好き放題食べていたら体重も体脂肪率も増量していた。
    パーソナルに通うお金はないので、YouTubeでマシンの使い方のコツ等調べて、自分で実践していくスタイル。

    ジムに行って着替えて、運動して、わりと頻繁に行っているけど、変わらない身体。時間は掛けているはずなのに。
    それでもなんとなく通い続けている現状。

    ジムでの筋トレをしている時は、自分の気持ちや思考を観察したりもしているんだけど、昨日気が付いたことがあったので、今ブログに書いています。
    それは、自分の意識の根底に「こんなダメ人間はどうせ何やっても無駄、自分のなりたい姿になれるわけない。」って意識があるということに気が付きました。
    正直、よく自己啓発本に書かれている「意識を変えれば人生も変わる!」的なことを信じていなかったし、「そんなので変われるわけないだろ」とも思っていたんだけど。
    「こんなダメ人間はどうせ何やっても無駄、能力ないし、ADHDだし、努力したって何にもならないし変えられないよ、自分のなりたい姿になれるわけない。」っていう思考が、表層に上がってきて、それに気が付いたと言う感じ。
    その時、「そんなふうに自分のこと低く見積もって、自分が可哀想だな」と思った。自分で自分の可能性に蓋しているというか。
    そこで、「わたしは絶対に自分がなりたい身体になるんだ!!!」って決めるというか、自分で自分に宣言を心の中でして、筋トレをしてみたら、
    いつもよりも筋肉に効かせられることができて、負荷も掛けてトレーニングができ、今筋肉痛になっている!!!

    ダイエット成功者たちの綺麗な身体をネットで見ては、「自分もこうなりたい」と思いつつ、無意識に「でも自分はダメ人間だからそんなふうにはなれないよ」って思っていた。ごめんね、自分。

    実は、6月に友人の結婚式があり、そこで旧友にも久しぶりに会う予定なので、その時に自信を持って人と話せるようになりたいから、本腰を入れたいと思ったのです・・・
    6月までに、体脂肪率25%代を目指す!!!(それでも少し高めな気もする)
    最終目標は20%くらいになりたい。スリムでヘルシーで筋肉質な身体・・・あと平熱を36度代に上げたい笑
    それと、月々のジム費が1万円近くかかっているので、目標を達成したら週2くらいで近くの公営ジム(1回400円という安さ)に通ってキープするくらいにしたい。

    5月になったらまた中間結果報告します!!!
    どうせ変われないよ、って自分から脱したい。

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/04/2

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/04/2

    〜ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録〜

    最近、心の穴が埋まってきたかもしれない!

    過去に言われた「なんで察してくれないの?」「あの時本当はこう思っていたのに!」と後から言われたこととか、当時は言われても「いや、エスパーじゃねんだからわかるわけないし、伝えることをしなかったあなたの責任でしょ」って思ってたけど、ADHDの診断受けてから、そのことや他の友人との喧嘩などなど、恋愛のことや、人間関係諸々、「全部自分がADHDで、普通じゃなくて、全部自分がおかしくて間違ってたんだ!」って過去も全部自分で書き換えていて、そして、自分がこんなに生きづらいのをADHDのせいにして、過去に私に「なんで察してくれないの」と言ってきた人たちのせいにしていた、ということが腑に落ちた。

    自分の気持ちを人に伝えることは怖いけど、勇気を出さずに、察してくれないとか、本人に聞かずに勝手に「こう思っているだろう」って自分の頭の中で決めつけてしまうこともある、というか、今回私はこの絶望期を通して、まさにそういうことをしてしまっていた。
    そういう風に決めつけてしまって、自分で勝手に恐怖心を作り出してしまうのは、人であれば誰しもがやることかもしれないけど、
    でも、自分はそうやって生きていきたくないなと思ったし、そうやって恐怖心で人に伝えることが難しい人がいるのも身に染みてわかった。どっちがいいとかではなく、「自分はこうありたい」と思う方向に気持ちを持っていきたいと思った。

    それと、学生時代から、友達がいない!って悩むことがないくらい、私はいつも友達が周りにいたのですが。
    社会人になって友達が結婚したり、環境も変わって疎遠になって、だんだん友達も周りにいなくなって、しかも、親友だと思っていた友人も、喧嘩・・・と言えないような些細なことでだんだん気まずくなってよくわかんない状況だから、ひとまずお互いが何を思っているか話した方がいいと思って会おうと言っても応じてくれなくなり、「友情ってなんて薄っぺらなんだろう!!」って絶望もして、自分がいかに「友人」という存在に依存していたのかもわかった。学生時代の、過去の自分は、ただ友人と一緒に過ごすのが楽しいから過ごしていたけど、ADHDになって、自分に自信がなくなって、いつのまにか「仲の良い友人がいる=自分はまとも」って図式が頭にあって、自分の存在意義を友人に依存していたというか。
    そりゃ、どんどん友達も消えるよな(笑)と思った。
    自分がなくて、1人で自己を確立できないから、自分の存在を外部に委ねていたんだなーと。反省!!!

    たぶん、一番辛い時期は抜けた気がする。前の自分に戻りつつある気がする。前よりも、世界が優しく感じる。

    最近やっていたことは、「人が怖い」という恐怖心に飛び込むというか、「人が怖い」という気持ちを抑圧せずに感じるということをしていました。
    よく、「感情を感じ切る!」って言うけど、ようやくそのことが腑に落ちた気がする。まず最初に「他者は自分を傷付ける力を持っている、自分の価値を他者に明け渡している」という考えを自分が持っているから、自分の存在を脅かす他者が「怖い」。この考え、思考を自分が持っているということをまず認識して、その思考が原因で起こる「恐怖心」を感じるということ。その感じる行為も、感じている自分と、それを認識している自分がいて、あくまで自分という存在は感じている自分ではなく、それを認識している自分であるという意識を持ってその恐怖心を感じることが大切なんだと思う。
    ただ、そう感じられるうようになるまで、セドナメソッドだとか、多分瞑想だとか、そうやって自分の感情や思考の動きを観察するようになる必要がある。だから、ニューアースとか、いわゆる悟り系の人たちはよく「観察しろ」って言ってるんだなーと思った。
    で、こういうのは実践あるのみで、いくら本を読んだって、実践しないと意味がない。「観察する」って何をだよ!!!って感じだったし。
    実践して、よくわかんねー!ってなって、それでもやっていって、腑に落ちるしかないんだと思った。

    Kindle unlimited契約していて、自己啓発本を読んだりしたけど、自己肯定感を上げる方法として「トイレ掃除を素手でやれるようにする!」とか、「好きなものに囲まれて暮らす」とか、うわっつらのことしか書いてなくてうんざりした。表面的なものでしかなくて、本当に自己肯定感を上げたいのであれば、ひたすら内観して自分と向き合っていくしかない。めちゃくちゃ地味ですごく辛い作業ではあるから、やっぱりもっと気軽に、効率的に、魔法みたいな方法を探したくなってしまうんだろうな。突然、自分自身が変わるわけではなくて、こうやって毎日苦しみながら、自分と向き合って、良くなってきたと思ったらまた消えたくなったりして、「このままずっと変われないのか?」って思ったり、そうやって地道に行っていくしかないんだな。本をたくさん読めばいいってもんじゃないんだな。
    自分の思考はただの思考であって、概念であって、その思考がなくても自分は存在するわけで、だとしたら思考は自分ではないわけで、その思考に取り憑かれてしまってるんだよね。

    前よりはよくなってきたものの、まだ昔の自分のようにはなっていないので、もっと、心の穴を埋めて、外部に自分の価値を依存しないように、自分で、自分として、自分の人生を生きれるように、頑張る。

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/03/2

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/03/2

    ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。

    苦しい。友人からラインの返信がこない。やっぱり、私のことが嫌いなのかな?忙しいだけかもしれないし。勝手に妄想して悪い方向への物語を作っているし、自分の価値を外部に依存している。
    友達がいない=人としておかしい、魅力がない、価値がないからだって思考がある。その思考があるから、自分自身が千切れるような苦しみを感じている。
    その思考も、これまでに生きてきた中での外部の価値観であるわけで、自分自身で思考したものではないし、そして思考はそもそも自分ではない。ただ、空っぽな器に流れているのみ、変化していくもの、というのはわかるけど、やっぱ苦しい。同一化している。

    悲しいことに、私は自分を消すことができない。消そうとして、自分の価値を外部に依存し、他人の目を気にして生きるようになった結果、うつ病になりかけた。自分を消して、妥協して、自分を消して生きられるのであればそうやって生きたかった。でも、無理だった!自分が、そうやって生きられれば、大事な友達とも喧嘩せずにいられたのかな。わーーーーー!だめだ、また自分を責めている。人間関係は相互の関わり合いで成り立つもの、どちらか片方が完全に悪いとかはないし、そもそも自分の心の傷によるエゴだとか、相手も然り、思考≠自分という図式になるのであれば、そもそも善悪もないのだし、、、

    友達と気まずくなったことでこんなに重く考えるのとか、本当に自分は重いしうだうだ自分の中でこうでもない、ああでもない、と考えてしまって、もっと軽く生きろよ!と思うけど、中学生の頃からこんなんだから仕方ない。

    建前、嫌味、その裏に隠された察しろよという気持ち、それらが怖くて、わからないから、いや、わかる時もあるけど、どうしても怖い。
    診断受ける前は全然気にしてなかった、それは、自分が思ったことしか発言していないから。お世辞も、嫌味も、使ったことなかった。だから人から言われても気にならなかった、というか気付かないから、後になって「あれ嫌味で言ったんだけど」と言われたり、その場では「いいよ」と言われたのに後から「本当はこう思ってたのに」と言われたりして、「言ってくれればわかったのに・・・」とすごく悲しくなったし、嫌味やお世辞、察して欲しい気持ち、それらをこれまで気にして生きてこなかったし、ADHDという特性もあるかもしれないけど、自分はわからない、人よりも、気付かない。それで、自分が知らないうちに誰かを傷付けたりして、最近わかったけど、大半の人は自分が相手にされて悲しかったことを「悲しかった」と伝えずに、嫌なことされたと思ったら何も言わずに離れていく人が多いみたいで、(統計とかデータあるわけではないから正確なことはわからんけど)自分が知らないうちに、失望されて、大事にしたい人が離れていくのは、すごく悲しい。

    今書いていて思ったけど、診断受けてからADHDだって自分で自分をラベリングしちゃってるな。これ、よくない。そういうものでくくれないだろ、人間。

    なんのための言葉なんだ。お互いがわからないから、わかろうとするための言葉、コミュニケーションなのではないの。でも、私もだけど、まず自分の気持ちを内観することもなかなか難しいよね。どうして自分はこんな気持ちになっているんだろうって、私は考えるのが好きだし、答えが出ないとすっきりしないし、答えを出したつもりでも、それよりももっと深いところに原因があったりもするし、自分のことをわかるのも難しいから、その自分の気持ちを相手に過不足なく伝えるのはもっと難しいんだろうな。
    いっそのこと、みんながみんなエスパーになって、思っていることがすべて筒抜けだったら楽なのかもと思ったけど、わからないから、伝わることのほうが難しいから、だから、言葉を尽くしたり、言葉以外の表情や声音、仕草、態度、そういうのも含めて表現して、相手に伝わったらすごくすごく嬉しくて、相手と同じ感情を共有することもすごく嬉しくなるし、
    そもそも、心の声が全て筒抜けであれば言語も存在しなくなるのかな。思念のみでの会話というかなんというか。もしもそんな世界になったら、漫画や小説、そのほか日常に起こるドラマも存在しなくなって、それはそれでつまらない世界になるのかな。

    相手の本心なんてわからないのに。うん、わからない。自分で相手の気持ちを勝手に想像して、決めつけるのも違う。
    じゃあ、どういうスタンスで生きていけばいいんだ?必ずしも、本心を全て伝えることが良いとも言えない場面もあるだろうし。
    本音と建前は、日本社会で必要だって、ネットの記事に書いてあったし。まあ、人間関係を円滑にするためにも必要なのだろうけど。

    ある程度、距離があるというか、深く関わらない人にはそういう対応をしてもいいとして、自分が深く、関わっていきたいと思う人には、どうやって接していけばいんだろう。怖いんだもん。昔はまじで怖くなかったのに。嫌味を言われたのが、すごく悲しかったしショックだったんだな私は。言葉をそのまま受け取って生きてたわ。もう、そうとしか生きられないんじゃないかって諦めるというか、受け入れるしかないのかな。なんか、こどもっぽくていやだなって、くそみたいなプライドがあるんだよ・・・
    落ち着いたクールでミステリアスな人間になりたかった。あーーーーーあ!そんな人間にはなれないんだ、諦めろ!!

    自分がいくら考えたところで、やっぱわかんない。明らかに真意を読み取れるところはそれでいくとして、よくわかんない時は、わかんないからって不安になってても心に悪いだけだから、そういう時は本人の言葉をその通りに受け取って考えよ。その言葉を発した人に責任があるんだわ。だから私も、自分が発した言葉に責任を持つようにすればいいよ。本心以外のことを言った場合、本心を隠すために言った場合、それを相手がどう捉えてどう行動しようが、その結果自分の望まないことになったとしても、それは自分の責任なのだから、相手に責任転嫁しないこと。
    だから同じように、相手が本心を隠して、察して欲しいという気持ちがあってもそれはわからんから、察して欲しい気持ちを隠して発言したその人にその発言の責任はあるから、察することができないことで不満に思われたとしても、それは私の責任ではない。
    っていう、他者との分離は、診断される前の自己肯定感くそ高い時代はあたりまえにできていたんですよね。当時の自分に戻りたいよ・・・
    戻りたい、絶対に戻る。怖いけど、戻るんだ、絶対に!

    はあ。苦しい。まだまだ埋まらねーーーーー!!

  • 電話でセッションを受けた話

    電話でセッションを受けた話

    自己啓発系やスピリチュアル系のブログや本等で、よく「セッションします!」という記事を見ることがあった。正直、「あくまで自分で自分と向き合うないと意味がないのだし、受ける意味あるのかな?どうにも胡散臭いしな・・・騙されたり、高額な金銭を要求されたらどうしよう。そもそもめちゃくちゃ高額だし!」という気持ちがあり、スルーしていた。
    が!!10月からの鬱期に入り、こんな私の苦しい助けて!って話を友達にするわけにもいかないし、そもそも友人と会うエネルギーすらない。でも、苦しくて仕方がない、死にそう!と思った時に、自分が共感できるブログを書いている方がセッションをされていたので、勇気を出して申し込みをした。

    問い合わせフォームから連絡を入れ、申し込みをし、返信がきた。日時を指定し、予約完了。
    当日、時間が近づくにつれて緊張感が!!すごい!!笑
    心理カウンセリングではないセッションを受けるのはこれが初めてだった。騙されたら?大丈夫かな・・・

    時間になり、いざ!スカイプを繋げてセッション開始。
    自分が今悩んで苦しい状況にあることを話す。そして、いくつか質問を受けて、回答していく。
    そのやりとりをしている最中に、急に号泣し涙が止まらなくなった。これには本当に驚いた。
    文章でうまく説明はできないのですが、「本質の自分」を「本質の自分を嫌う自分」がいて、同じ自分の中に相反する自分が2人いて。「本質の自分」が「本質の自分を嫌う自分」で見えなくなっていて。
    「本質の自分を嫌う自分」は、「本質の自分」を嫌う自分に罪悪感を多少なりとも持っていて。
    質問を答えていく中で、見えなくなっていた優しくなんでも許してくれる「本質の自分」が顔を出した、という感覚。
    セッション後、自分が生まれ変わったような感覚になった。(この感覚は翌日まで続くが、ずっと続くわけではない)今まで感じていなかった、「本質の自分」を感じることができるようになった。胸の奥にある温かいエネルギー。このエネルギーは、私はADHDになり自分をいじめる前には常に感じていたものだと思い出した。

    ただ、これまで自分をいじめまくっていたことや、こびりついた自己否定の価値観はすぐには消えることはなかったけれど、温かいエネルギーを胸の奥に感じられるようになったことはとても大きなことだった。多分、分裂していた自分の一体化のきっかけになったというか。まだ、一体化まではできていないけれど。。。

    セッション後に、「本当は最初はセッションを受けることに不安な気持ちもありました」と正直に伝えると、笑いながら「そうだよね、ちょっと怪しいもんね」と言ってくれました。
    料金は後払いで銀行振込。もちろん、多く金額を指定されることもなしでした!笑

    セッションというものがなんとなく胡散臭いなと思っていたのもあるし、自分の心のことは人に頼らずに解決しなくては!みたいな固定観念もあったのだと思います。そのことを話すと、「身体に不調が出たら病院に行くように、心に不調があった時も、頼っていいんだよ」と言われて、「そりゃそうだ!」と納得しました。

    セッションしていただいた方のブログのリンクを貼り付けておきます。ブログの記事はふわふわスピリチュアルとかではなく、しっかりと地に足がついている内容なので、とても参考になります!

    http://healingsalonbeppu.blog25.fc2.com/

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/15

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/15

    大学生のときにバンドでオリジナル曲を作って演奏してて、歌詞も書いていた。
    聞いた人の心を動かせるようなライブがしたかったので、自分が表現したいことかつ普遍的なことの共通項を取り出して、できる限り直接的な感情表現は避けることを意識していた。(避けるだけであって、やっぱり直接的な表現はしてしまうけど)大好きなジュディマリのYUKIちゃんの歌詞がまさにそれ!だった。

    大学を卒業する前、ADHDと診断されたことをきっかけに、自分という存在に自信を持てず、外的なもので自分の価値を測るようになり、
    周りの人にどう思われるかで生きるようになってから、自分の心の声が閉ざされ、曲も歌詞も浮かばなくなった。
    以前は、メロディーも湧き上がるものがあったし歌詞もそう、そのあと思考でこねくり回す作業はあれど、心が主体といいますか。
    それが一切できなくなったけど、バンド等の作詞作曲や音楽活動は(といっても自分でちゃんと作ると時間かかるから考えたメロディーにメンバーにコード振ってもらったりしてた自分ではわからなかったので・・・あと楽器は下手だった)大学生の時にやりきったと思っていたので特段気にもとめなかった。
    それから数年、自分の心の声が閉ざされたことと、曲作り等の芸術活動ができなくなったことは関係があるのでは!?と思い始め、まあ、関係あるんですよねって気付いた。

    歌詞なんて正直恥ずかしいんですよ。自分の感情大爆発じゃん。恋愛ものばっかだしよ!でも、当時は恥ずかしさもなかったし、自分の曲めっちゃいいなと本気で思っていた。それは、自分の心や感情を認めることができていたからだと思う。でも、自分と繋がれなくなると、その表現のパイプも閉じてしまって、自己表現ができなくなるのです。自分がいなくなるという弊害。
    実際に、曲ではなくてグラフィックデザインのあれこれを作るようになったけど、自分の曲のように「めっちゃいいじゃん!」と思うことはほぼなかった。というか、あまり見たくないというか、好きにはなれなかった。自己の存在の軸を外に求めて生きるようになった結果がこれ。(それでもたまにいいじゃん!と思えるものは、先生に褒められたりもして、自分の感覚も信じてみてもいいのかもしれんとたまに思ったりもした)

    上記のことを、去年の夏頃に気が付いたけど、どうしても自分の存在を外に依存してしまうことから抜け出せず。そしてつい最近まで、それは続く。
    秋頃から自分を取り戻すためにあれやこれや試行錯誤していても、結局また苦しさや心の穴は埋まらずに振り出しに戻る、を繰り返していたが、一昨日くらいに、本当に久しぶりにグラフィック関連でものを作ったら、やっぱり楽しくて、しかも前は「人に認められたい・認められないと価値がない」という気持ちが強かったけど、ただ「楽しい」という気持ちで出来ていたので驚いたし、少しずつ自分を取り戻せている気がした。(それでもまだ心の穴は埋まっていませんが!!)

    そしてつい先ほど、詩を詩の投稿サイトへ投稿した。さっき、辛くて大泣きして泣き止んだタイミングで、書きたいことが浮かんで、そのまま夢中になって書いた。この感覚がすごく久しぶりだった。承認欲求からではなく、純粋に表現したいと思えた感覚。2つ詩を書いたけど、自分でも言うけど結構好きや!と思った。思えば、曲を作っていた時も、そういう、感情がエネルギー源だったんだ。主に恋愛で辛い〜〜〜ってことばっかを元にしていたなあ・・・承認欲求からではなく、もっと自分の心から表現したいことを本当に久しぶりにできた気がする。
    あと、デザインの専門学校の課題をやっていた時にも思ったけど、わたしは言葉を考えるのがわりと好きっぽい。小説とか長文は書けないけど、キャッチコッピーとかそういうの。

    今日もストレスでお腹がキリキリと痛んで、食欲もない。あ〜色々書いていたらもうこんな時間か。今日も、というか最近は人間関係に悩みに悩んでいてまじで辛い。つらい〜〜〜〜〜。勇気を出すのも、悲しむのも、疑うのも、泣くのも疲れたけど、死ぬことはできないし、生きるしかねえ。

    たまに詩を書いて、自分と繋がるためのリハビリをしていこうと思った。あと、グラフィック系のものとかも。でもどちらかといえば詩のほうが自分の心の表現か。

    わあもう寝ないと!

  • 心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/11

    心の穴が埋まるまでの記録 2022/02/11

    心が限界。消えたい。穴が埋まらない。どうすれば埋まるのかもわからない。
    生きてて希望がない。自分がADHDだから?友達とも気まずくなってしまった。
    ずっと仲良くできる友人だと思っていたけど、ずっとなんてないんだ。
    それも、自分がADHDだからなのかな。そのせいなんじゃないのかな。
    昨年の10月から病んでしまって、このままだと迷惑がかかるからと人との関わりを絶っていたけど、
    それが逆に仇になっていたのかもしれない。
    原因はわかっている。ADHDだと自分にラベルを貼ってから他人が怖くなった。
    自己肯定感が低くなり、それまでは自分の価値は他者に依存せずに感じられていたのに、
    ADHDだから空気読めないんだ!他人は嫌味を言うし、それに自分は気付けないんだ。自分は人知らずに誰かを傷付けていたのかもしれないんだ。
    そう思うようになってから、人と会話するのが難しくなった。人に好かれないと、普通だって思われるようにしないと。そうしてだんだん自分が消えていった。
    やりたかった職業に一瞬就いたけど挫折したし、一番好きな人には一生会えない(死別ではない)。
    10月から、必死に自分と向き合って、よくなってきたと思っていたけど、今、親友だと思っていた人との関係が危ない。もうだめだ。死にたい。

    「ロマンスドール」という映画を観た。嘘をつかれた内容ではなく、話し合いをせず、「自分は信用されていなかったんだ」と思うことがすごく辛いんだ。嘘なんてどうでもよかった。
    私も友人にそういうことをしてしまったのかもしれない。あの時、すぐに言えばよかったんだ。
    でも、どう思うわれるか怖かった。離れていってしまったらって怖くて、本音も言えなかった。
    最初から言わなければよかったのかもしれない。
    なんで、経験して学ばないと理解できないんだろう。どうしてもっと早くにわかることができなかったんだろう。なんで人生はこの積み重ねなんだろう。辛くない?

    友人がいなくなることに対して、ものすごく恐怖感がある。そして、自分は自分の存在を確認するために、友人を利用していたのではないか?と気が付いた。ごめんなさい。
    ただ、ご飯を食べたり、くだらないことで笑い合えればいいのに。約束を反故にされたとか、私のことを大事に思っていない証拠だ!!なんて、そんなことは本当はどうでもいいことだったんじゃないか?
    もう、戻れないのかなあ。

    彼氏や旦那さんがいれば、こんな寂しさも自分が欠けている感覚も味わうことはなかったのかとも思うけど、彼氏ができたとしてもいなくなる恐怖心はなくならないし、旦那さんができても同様に離婚や死別もあるだろうし、子がいたとしてもその子もいつか自立するし。
    今私が持っている彼氏欲しい欲は、プラス要素のものを求めるのではなく、「自分は誰かにとって特別な存在だと感じたい」承認欲求からだ。結局、この欲求は底なし沼だし、埋まることはないのはわかっているので、自分で自分の心の穴を埋めるしかない、ということなんだけど。

    で!?それってどうやったら埋まるの!?と思って10月から心理学の本とか精神科医さんの本とかニューアースというスピ寄りの本とか(これが一番よかった)瞑想したり色々してきたけど、
    結局今、親友との縁が切れそうだし辛くて死にそう。これまでのあの時間は、自分と向き合っていたと持っていたあの時間はなんだったんだろう。まじで。

    この一年で、絶対に変わりたい。なので、ブログに記録していこうと思う。2022年12月末日、わたしは変われているかな。もうこんなに苦しいのは無理、呼吸ができない。

    ADHDと診断を受ける前は、めちゃくちゃ自分と繋がって生きれていて、またいつか詳しく書きたいけど、ニューアースの内容を全部理解できていていて、理解というよりかは腑に落ちていて、すごく幸せだった。中学生の時に桜が散るのを見ながら、「この世界は諸行無常で、永遠なんてないし、自分は明日死ぬかもしれないんだ、だったら死ぬ時に後悔しないように今を大事に生きよう」と本気で思っていた。悟って生きていて、すごく自然に生きれていたのに、今では真逆だ。

    長々と書いてしまった。このブログも続くかもわからない。ではまた。

  • ストラテラを夜飲んだら寝れなくなったので朝にした

    ストラテラを夜飲んだら寝れなくなったので朝にした

    ストラテラの量を、10mg→から20mgに増やしました。
    飲むタイミングも重要なのかな、と思い、
    今までずっと朝に飲んでいたので、夜にしてみたら、

    目が冴えて冴えて寝れねええええええええ!!!!

    となりました(^∇^)
    我々にとって、睡眠はもうほんとに大事じゃないですか。
    なんというか、脳が疲れる感じがひどいというか。
    一日が終わる頃には、脳が疲れてシャットダウン、というか。
    なのでほんとに!!!睡眠が!!!より一層大事!!!だと思ってます。

    夜飲んだら本当に目がガンガン冴えて。
    4回くらい、中途覚醒しました。辛かった(´;ω;`)
    次からは朝に戻したら中途覚醒なく寝られました。

    人によって違うと思うけど、私夜飲んではだめだなと思ったまじで・・・

    朝飲んで電車に乗ると、すんごく気持ち悪くなったりしません?
    それが嫌で、夜のがいいのかなって思ったんだけどなあ。

    みんないつ飲んでるのかな。朝夜の人もいるんだよね。

    薬の量増やしてから、今のところまだ感情は生きています。
    というか、3年前の薬増やしてた時期は仕事と学校で(社会人学生やってました)休みほぼなかったから(休みの日は全て課題、少ないけど友達と遊ぶ時間も取ったりで本当にしんどかった)それで若干抑うつっぽくなっていたのかも??
    専門学校もすごくハードだったので・・・
    それもあって感情が死んでたのもあるのかも?
    一概にストラテラを服用していたのが原因とは言えないのかもですね。

    何にせよ、人間がこころ穏やかに生きるためには休息は必要ですよ。
    人によるけど、私は自分の時間がある程度ないと無理だ。
    専門学校に行く時間は自分の時間だったから苦痛ではなかったけど、
    自分の時間の多くが仕事になることは本当にストレスなんだなっていうことが
    前回の無職になった際にわかったことですね。
    何だろ、時間に価値をめちゃくちゃ多く置いてるんだよなあ
    そこにはダラダラする時間も含め重きを置いてますね。
    だって毎日命を燃やして生きてるわけで、刻一刻と死へ進んでるんですよ。
    そう考えたらまじで自分が何に時間をさくのかってめちゃくちゃ大事じゃんって思うよね。

    ブログ書いてたらもう寝る時間だ!寝よ。