「天才はあきらめた」(著:山里亮太)紹介
「自分は天才にはなれない」。そう悟った日から、地獄のような努力がはじまった。
嫉妬の化け物・南海キャンディーズ山里は、どんなに悔しいことがあっても、
それをガソリンにして今日も爆走する。
コンビ不仲という暗黒時代を乗り越え再挑戦したM-1グランプリ。
そして単独ライブ。
その舞台でようやく見つけた景色とは――。
2006年に発売された『天才になりたい』を本人が全ページにわたり徹底的に大改稿、
新しいエピソードを加筆して、まさかの文庫化!
格好悪いこと、情けないことも全て書いた、芸人の魂の記録。
《解説・オードリー若林正恭》
感想
気に入ったところ
天才はきっと逃げ道なんか見えてないんだろうな。まっすぐゴールに向けての道しか見えてないんだろうな。そしてそれを苦労と思わずただただ呼吸するように進んでいってるんだろうな。(第1章「何者か」になりたいより)
第1章のタイトルから「読みたい」欲をそそられた。
私も「何者か」になりたい、と身がよじれそうなくらいに思った。
(でもこの「何者か」になりたいというのは、強すぎる自己承認欲求でもあって、それをどう昇華させればいいんだ!?とネットの海を泳いでいた時に、この本を見つけたのでした!!!ちなみに、映画「何者」もとても刺さる内容で良かったです)
「どうしたらああいうネタができるんですか?」
その答えは2組とも一緒だった。
「自分が客席にいたとして、その自分が見て笑うものをやっているだけ」
当たり前というテンションで出されたその答えは、僕にとっては衝撃的だった。
僕が考えているものには、いつだって自分はいなかった。お客さんは何を言ったら笑うのかばかり考えていた。
もう1人の自分を置く・・・・・。
もう1人の自分って?自分は何を笑っている?何がしたい?
俺って一体?と考え始めたものの、すぐには答えは出なかった。
(第3章 焦り より)
お客さんがどう思うか?ということを第一に考えていた山ちゃん。
他者の評価が一番の基準だった。そして気付くと「自分」がいないことに気が付く。
「周りの評価より、自分が自分を認めてあげればいいんだ!」という言葉を良く聞くけれど。
そんなことはわかっているのですが、これが一番難しくないですか!?
でも、これが真実なんですよね。自分らしく生きることが一番心地よい生き方なんでしょうけど。
社会生活をしている私たちにとって、他者は切り離すことはできないし。
今ならわかる。こうやって自分ができないところを見つけては自分を責めるということが、無意識に逃げる理由ができて居心地が良かったということを。
(第4章 有頂天、そしてどん底 より)
僕が笑い声を聞くことなんてできないんじゃないか?とか悲劇のヒーローっぽいことを頭で紡ぎだして、また落ち込んで逃げていた。
(終章 泣きたい夜を越えて より)
めっちゃわかる!!!!「自分はこうなれないし、できる実力もセンスもない。」そうやって諦めることで、努力から逃げる。
あんなに頭の回転も早くて語彙力が豊富で、どう見ても「天才」な山ちゃんも、こんな風に思っていたんだなあ、と、もっと好きになりました。
へこむということで全ての努力することから逃げるという最悪のブレーキ。
これがなくなったことで、また努力することができた。
そしてもう一度スタートラインを確認しようということに、やっと気づいた。
ネタだ。それも自分が楽しいと思うもの。それを意識してとりあえず書きまくった。
(終章 泣きたい夜を越えて より)
ここで、山ちゃんは「他者基準」ではなく、初めて「自分基準」で楽しいと思うことを書こうと到った。
これって、自分のことを認めたり、自分の感覚を信じることができたからこそできること。
私もそうんな風になりたい、と思いました。
自分を晒せる人の強さ
私は、カッコつけたがりだ。
人に対して良く見せたがる。でもこの自伝の中で山ちゃんはこんなことまで!?いいの!?というようなブラック、というよりか人としてどうなんだ!?という黒歴史を晒してくれている。
相方に対しての数々の所業。
そしてストイックなまでのお笑いに対する姿勢。
こうも人の人間臭さを味わうことができるこの自伝は、とても読み応えがありました!
若林さんの解説もとても良い
本編はさることながら、若林さんの解説文がめちゃくちゃ良かった。
お二方とも、私から見たら天才だなあ、と思うのだけれど。
若林さんから見た山ちゃん、そして読者がこの本を読みながら、「天才はあきらめた」っていうけどやっぱり山ちゃんは天才じゃん!!!ということを代弁してくれた。
文体もさすが山ちゃん、クスっと笑えつつ、読みやすい。
もっと山ちゃんが好きになりました!
是非読んでみてください〜!
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