心のあながうまるまでのきろく

心の穴が埋まるまでの記録 2022/03/2

ADHD発覚後、周りに合わせる生き方をするようになったがために自分が消え、空いた心の穴を埋めるまでの記録です。

苦しい。友人からラインの返信がこない。やっぱり、私のことが嫌いなのかな?忙しいだけかもしれないし。勝手に妄想して悪い方向への物語を作っているし、自分の価値を外部に依存している。
友達がいない=人としておかしい、魅力がない、価値がないからだって思考がある。その思考があるから、自分自身が千切れるような苦しみを感じている。
その思考も、これまでに生きてきた中での外部の価値観であるわけで、自分自身で思考したものではないし、そして思考はそもそも自分ではない。ただ、空っぽな器に流れているのみ、変化していくもの、というのはわかるけど、やっぱ苦しい。同一化している。

悲しいことに、私は自分を消すことができない。消そうとして、自分の価値を外部に依存し、他人の目を気にして生きるようになった結果、うつ病になりかけた。自分を消して、妥協して、自分を消して生きられるのであればそうやって生きたかった。でも、無理だった!自分が、そうやって生きられれば、大事な友達とも喧嘩せずにいられたのかな。わーーーーー!だめだ、また自分を責めている。人間関係は相互の関わり合いで成り立つもの、どちらか片方が完全に悪いとかはないし、そもそも自分の心の傷によるエゴだとか、相手も然り、思考≠自分という図式になるのであれば、そもそも善悪もないのだし、、、

友達と気まずくなったことでこんなに重く考えるのとか、本当に自分は重いしうだうだ自分の中でこうでもない、ああでもない、と考えてしまって、もっと軽く生きろよ!と思うけど、中学生の頃からこんなんだから仕方ない。

建前、嫌味、その裏に隠された察しろよという気持ち、それらが怖くて、わからないから、いや、わかる時もあるけど、どうしても怖い。
診断受ける前は全然気にしてなかった、それは、自分が思ったことしか発言していないから。お世辞も、嫌味も、使ったことなかった。だから人から言われても気にならなかった、というか気付かないから、後になって「あれ嫌味で言ったんだけど」と言われたり、その場では「いいよ」と言われたのに後から「本当はこう思ってたのに」と言われたりして、「言ってくれればわかったのに・・・」とすごく悲しくなったし、嫌味やお世辞、察して欲しい気持ち、それらをこれまで気にして生きてこなかったし、ADHDという特性もあるかもしれないけど、自分はわからない、人よりも、気付かない。それで、自分が知らないうちに誰かを傷付けたりして、最近わかったけど、大半の人は自分が相手にされて悲しかったことを「悲しかった」と伝えずに、嫌なことされたと思ったら何も言わずに離れていく人が多いみたいで、(統計とかデータあるわけではないから正確なことはわからんけど)自分が知らないうちに、失望されて、大事にしたい人が離れていくのは、すごく悲しい。

今書いていて思ったけど、診断受けてからADHDだって自分で自分をラベリングしちゃってるな。これ、よくない。そういうものでくくれないだろ、人間。

なんのための言葉なんだ。お互いがわからないから、わかろうとするための言葉、コミュニケーションなのではないの。でも、私もだけど、まず自分の気持ちを内観することもなかなか難しいよね。どうして自分はこんな気持ちになっているんだろうって、私は考えるのが好きだし、答えが出ないとすっきりしないし、答えを出したつもりでも、それよりももっと深いところに原因があったりもするし、自分のことをわかるのも難しいから、その自分の気持ちを相手に過不足なく伝えるのはもっと難しいんだろうな。
いっそのこと、みんながみんなエスパーになって、思っていることがすべて筒抜けだったら楽なのかもと思ったけど、わからないから、伝わることのほうが難しいから、だから、言葉を尽くしたり、言葉以外の表情や声音、仕草、態度、そういうのも含めて表現して、相手に伝わったらすごくすごく嬉しくて、相手と同じ感情を共有することもすごく嬉しくなるし、
そもそも、心の声が全て筒抜けであれば言語も存在しなくなるのかな。思念のみでの会話というかなんというか。もしもそんな世界になったら、漫画や小説、そのほか日常に起こるドラマも存在しなくなって、それはそれでつまらない世界になるのかな。

相手の本心なんてわからないのに。うん、わからない。自分で相手の気持ちを勝手に想像して、決めつけるのも違う。
じゃあ、どういうスタンスで生きていけばいいんだ?必ずしも、本心を全て伝えることが良いとも言えない場面もあるだろうし。
本音と建前は、日本社会で必要だって、ネットの記事に書いてあったし。まあ、人間関係を円滑にするためにも必要なのだろうけど。

ある程度、距離があるというか、深く関わらない人にはそういう対応をしてもいいとして、自分が深く、関わっていきたいと思う人には、どうやって接していけばいんだろう。怖いんだもん。昔はまじで怖くなかったのに。嫌味を言われたのが、すごく悲しかったしショックだったんだな私は。言葉をそのまま受け取って生きてたわ。もう、そうとしか生きられないんじゃないかって諦めるというか、受け入れるしかないのかな。なんか、こどもっぽくていやだなって、くそみたいなプライドがあるんだよ・・・
落ち着いたクールでミステリアスな人間になりたかった。あーーーーーあ!そんな人間にはなれないんだ、諦めろ!!

自分がいくら考えたところで、やっぱわかんない。明らかに真意を読み取れるところはそれでいくとして、よくわかんない時は、わかんないからって不安になってても心に悪いだけだから、そういう時は本人の言葉をその通りに受け取って考えよ。その言葉を発した人に責任があるんだわ。だから私も、自分が発した言葉に責任を持つようにすればいいよ。本心以外のことを言った場合、本心を隠すために言った場合、それを相手がどう捉えてどう行動しようが、その結果自分の望まないことになったとしても、それは自分の責任なのだから、相手に責任転嫁しないこと。
だから同じように、相手が本心を隠して、察して欲しいという気持ちがあってもそれはわからんから、察して欲しい気持ちを隠して発言したその人にその発言の責任はあるから、察することができないことで不満に思われたとしても、それは私の責任ではない。
っていう、他者との分離は、診断される前の自己肯定感くそ高い時代はあたりまえにできていたんですよね。当時の自分に戻りたいよ・・・
戻りたい、絶対に戻る。怖いけど、戻るんだ、絶対に!

はあ。苦しい。まだまだ埋まらねーーーーー!!